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シャイ人が集う神社に、風を吹かせる

【画像は生成AIで作成「神社に風が吹き、天狗が闊歩している」という指示ででてきたものだYO。】

公園のそばにお地蔵様が祀られている。公園に限らずだけど、うちの近所のまぁまぁデカい公園の入り口に、お地蔵様が屋根付きのワンルームスタイルで祀られている。

サラリーマン時代は(いまフリーランスね)、通勤行きと帰りの通り道。週末子どもと公園で遊んでた程度。子どもも大きくなり、公園を意識しなくなっていた。フリーランスになってから、やたらと散歩に繰り出す。歩かないこと、それはメタボロードをまっすぐ歩むという、なんともパラドックス・アイロニー(逆説的な皮肉:僕提唱)になるからだ。

で、その公園のお地蔵様、誰かがお水をかえ、お供えをして、お花も替えていることに気づいた。昼間もふらふらとコンビニに行ったり、本屋でサボったりとしていると、ノイズに見えていた現象がスコーンと目の網膜に飛び込んでくる。お地蔵様のまえで、膝をついて手を合わせるおじさん。スーパーの帰り、直で買ってきた饅頭を積み上げるおばあさん。新しい花と交換して、水も入れ替えるお姉さん。

行列のできないお地蔵様

そう、お地蔵様周辺には物語があったのだ。だが、ここで気になったことは、行列はできていないということだった。そりゃぁ二十四時間お地蔵様の前で、張っているわけじゃぁないけれど、サラリーマン時代より意識的に目にするお地蔵様ポジション、行列はできていない。毎日キレイになっているところを見ると、誰かの持ち回りルーティンのように役割分担もされているようだ。

  • 掃除担当

  • 花交換担当

  • お供え担当

  • 水交換担当

これだけのメンツがいるはずだ。きっと時差担当のごとく、最少人数で回すコンビニバイトシフトのごとくで被らず、重なり合わないのだろう。

さて、今回のお話は「神社」である

地元神社、僕にとっては神社システムは神主サンに委託されており、人々は無料で参詣するのみ。無料といっても、お心ばかりのお賽銭はするけども。

つまり、お地蔵様のように維持管理・メンテといったボランティアシフトは不要ってことなのだ。行けばいい。行けばわかるさ!というまぁご勝手システムに乗っかる。

地獄のデブロードを回避すべく、毎朝散歩ルーティンを取り入れている。一日をおろそかにしてはならない、という誰かの名言を思い出しながら、サボらず継続している。で、せっかくなんだから、地元の神社にも立ち寄って、感謝感激をご報告しようと。神社は願い事を叶える場というよりも、感謝を伝える場と教わったのだ。

「住所・氏名・家族の氏名もついでに・昨日あったことの感謝」をお伝えしている。1円~10円のセルフサブスク状態でのお賽銭だ。いいことある日は10円、そうでもないときは5円、どーしょうもないときは1円とまさに神社成果主義形式だ。アメリカ方式の人事管理システムを導入している。勝手に。

朝からジジイとババアが多い

簡単に言うと、セミリタイヤチームのような人たちが僕と同じように朝から神社に来ている。よく考えて、通勤路でも朝はなかなかじゃない?神社経由して駅に行って通勤って。ならば、みんな「散歩」よ。散歩の経由地として、この神社にお参りしているのだよ。

ジジイ・ババアの定義でいうと、僕は17歳の息子からジジイと呼ばれる。で、50歳の僕からすると俺がジジイ?なんて思う。であるが、僕が60ぐらいのたかだか10個年上の男性を見ると、ジジイと言いたくなる。まぁ、相対的な視点でジジイ・ババアが変わるものなのだ。

と息子に言うと、「テメェはクソジジイだよ」なんて言われる始末だ。そんなこと言うと泣いてしまう。余談。

まぁ明らかに50歳の僕よりも年上の、兄さん(ジジイ)と姉さん(ババア)たちと神社で遭遇する。マナーもバラバラだ。

鳥居で一礼して、端っこ歩いて、拝殿エリアを目指す。お賽銭・パンパンと二礼二拍手一礼で素早く撤収。再度鳥居で一礼。だいたいコレが僕のスタイルだ。

神社でいつも遭遇する人たち

  • ずーっとスマホ見ながら突進してくるスマホ依存タイプ

  • 二礼二拍手一礼の音がデカいパフォーマータイプ

  • 何かを食べながら歩く、チコクチコクでパンをかじり曲がり角でぶつかり転校生と教室で「おまぇー」「あんたー」のフラグを立てたいタイプ

  • 目をつむって歩いて、「少佐は下がってください」というエルメス型ニュータイプ

  • デカい日傘をクルクル回すから、拝殿前の行列でひとりで二人分のスペースをとるテトリスで使いにくい卍の片方みたなタイプ

そして、全員に共通しているのは「挨拶をしない」ってことだ。

みんな勘違いしてないか?神社で「おはようございます」はレア

主観?ワテの行く神社は、みんな「おはようございますぅうう~」って挨拶するよ。見知らぬ者同士でも、ちょっと、見かける程度同士でも、なんて異論反論とオブジェクションはあるだろう。ホンマ?そこ行きたい。教えて。

僕の行く神社はジジイもババアも挨拶しない。神主も挨拶しない。挨拶しないってのは「挨拶を僕からしても、無言」というやつです。

【「挨拶をしてこないのはなぜだ?」考えられる理由】
・挨拶をすると遠隔操作で脳内のチップが爆発する
・知らない人に挨拶をしてはいけないという教え
・プログラミングされていない
・挨拶しているが、人間の声には聞こえないイルカの周波数
・超能力で心に働きかけているが、僕に能力がないため聞こえない
・あとから遅れて聞こえてくるので、わからない
・転校生だから遠慮している

たぶんね、恥ずかしいんだろう。きっかけだよ。人生はきっかけだから。

ということで、神社に風を吹かせた

「自分が変わらなきゃ、誰も変えられないよ」たぶん名言にあるとおもう。まぁ、他人を変えるなんて傲慢そのものなのだが。僕が試みたのは、会社システムだ。朝、会社に入ったらスイッチオン。知ってる、知らない、仲良し、イヤーな奴、ネチネチ上司、おもろい部下、話したことない社長、単独で宇宙船に乗せてどっか行って欲しい専務、会議でウンコ漏らしたらいい常務、みんなみんなに挨拶をしていたものだ。「おはようございます!」!入れたら10ワード。気合いだ。

これを導入した。

「おはようございます!」

「あぁ、おはよーございますぅ」(出入りの業者か!)
「おはようさん」(オカンか!)
「オッす」(悟空か!・オラ〇〇って名前まで言って欲しい)
「おざーす」(若いね、感じ)
「ウッス」(部活か)

ぐらいのレスポンスを獲得した。シャイ人たちは、挨拶待ちだったのかもしれない。清々しく朝を始められた。それからというもの、神社は挨拶であふれかえったのだった、というわけにもならず。

挨拶をしなければ、挨拶はかえってこない。さしずめ「何も言わなければ、何も言ってこない」という名言のような状況にもどってしまうのだ。

そして神主さん、最も難敵!幾度となく挨拶を試みたが、目線を外す。そういう決まりなのか?こんど、テレパシーで挨拶してみよう。それなら通じるかもしれない。

微風だったけど、挨拶ひとつで神社に風を吹かせたっていう話だったよ。
それでは「おはようございます!」そして「ごきげんよう!」

おわり


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