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僕たちは誰かの「漏らす話」を、クソ笑うようにして生きている。

突然ですが、漏らしたことありますか?ちょ、ちょっと待って。リムーブ・離脱・遷移、ちょっと待って。漏らしたことありますかってのは、「BIG」の方です。大きい方ね。あぁ、ちょっとウェイト!マテ、お座り!マテ!
たぶん、このくだりでもう離脱される方多いでしょう。

下ネタってのは、もともと大小の話で、エロってのはその後付け足したようなもので。べべん便!。note書いていて一度だけ許される、下ネタ=BIGの方の話。ウンコと言いましょう。もう。お食事しながらnote見るなんてこともなさそうですから、もういっちゃいましょう。ウンコ話スタートです。

ウンコの話は、しっかりと盛り上がる

ウンコの話はなにかと面白おかしくなる。オチが無くても、その存在自体が出オチのようなものだから、フリもなしで盛り上がるし、ウケル。ここからはまじめに。なんで盛り上がるのか?考えたことある?

「あるある的に、誰もが体験していることだから」というごくシンプルな理由。頻度で言えば最強のあるある。そこに悲哀がプラスされると盛り上がるんじゃないかなと思う。僕は小学校の下校途中で2回の最強あるあるを体験し事故を起こしたが、二年生と五年生。

よみがえる二年生の記憶
学校から家まで40分という小学生にとってはハーフマラソンクラスの距離感。通学路からショートカットすれば、家まで20分。でも同級生たちが見張っている。近道して帰ろうもんなら、先生にチクっと密告されちゃう。タクシーなら誉められそうな、最短距離も小学生なら悪事として先生に怒られちゃう。

まじめな二年生の僕。友達もほとんどいなかったので、口から蜘蛛の糸出す遊び(そんなもんは出ません)をしていた。フッと口から息を飛ばす。電柱にその息が当たると口と電柱が糸でつながるイメージ。瞬間移動のように、シューッと体が糸に引っ張られるってやつだ。アメコミのあのヒーロみたいなやつだ。

そんな遊びをして一人で下校していた。白い線(歩道と車道の境目の)から落ちたら死ぬルールでも遊んで帰っていたが、やはりライバルがいないと、ひとりじゃぁつまんないのよねそのゲーム。

どうでもいいですが、というわけで、口から糸出すゲームで遊んでいたが、帰り道で腹痛くなった。あと20分は歩かないとみたいなタイミング。

陸橋のある交差点、横断歩道は通っちゃぁダメ。通学路は陸橋と指定!会談の上下運動は地獄の腹痛を誘発させる。腹が!公民館の外にトイレがあるが、なぜか野良犬が住んでいる。絶対無理。

二年生の僕はショートカットの坂道に足を踏み入れそうに。焦る僕。見てた同級生の西田さん。こいつ。。。見てる。ショートカットしたらチクられる。

という、社会的のルールを大事にした8歳の僕は、あきらめの境地に一足早く到達した。人生はあきらめが肝心。漏らすという屈辱を敢えて受け入れ、残りの20分ロードを完走。

五年生の僕も同じようなもんだ。だいたい同じところで、辱めを受けてもう歩いて帰っていた。ゲームでミスする場所いつも同じ、あの感じ。そして、そういう時に限って、リビングに近所のおばちゃんたちが集まって雑談してる。持ち帰って、登校班のメンバーにこの秘密を公開されちゃうんだろうなと。(実際はそんなことはなかった)。

四十年以上経った今でも、これくらい鮮明に覚えている。

大人になってからも、戦っていた茅場町にて

京都から東京へ配属の広告代理店コピーライター。社会人一年目23歳(浪人したから)。土曜日の休日出勤。新人なのにでっかいプレゼン案件に駆り出された。御用聞きみたいな仕事だったが、それはそれで重要。

で、東西線茅場町駅から出てきた僕は、すでに腹がピンチ。

だけども、会社までは5分会社は1階から3階までトイレは豊富!しかも、土曜日。営業は休み。出勤は、僕と先輩と上司三名。ハハハ、ほぼ一人1便座が叶うじゃぁないか。ということで、駅でトイレせず我慢して会社へ。道中コンビニもない、トイレマップはまだ頭の中に実装されていない。

しかし、たかだか5分。証券取引所の前を通り、会社へ向かう。おお、我がトイレよ。もう、腹はアカンことになっているからな。と、横断歩道を渡りエントランス前へ。

我が小腸エリアは既に突破されずみ。大腸エリアは最終ラインでの攻防が始まっている。

括約筋たちへのサポートに内転筋たちが駆け付けていた!!!というイメージ。

絶望!

シャッター閉まってる。土曜日だからか!

あぁ、こういうのっていつも早く来て、昼寝ばっかしている部長が開けてたんだ。。。そうか、部長は今日は来ない。先輩と上司(課長)だけだ。あの人たちは。。。9時に来るって言ってたな。あと10分じゃないか。

待て。マテ。ステイ俺!という感じで先輩もしくは上司(課長ね)を待った。

来ない、時間を守れよ、休日出勤でも!9時になった。シャッター前で10分待った。俺のゲートが開くか、会社のゲートが開くか!

先輩が来た!走って来た!

「おっ、早いな。休日でも9時出社やけど、タイムカードもないからそんなにシビアに来なくてええねんで」と。9時越えてますよ。僕の限界も越えてますよ。

いや、どうでもいいから、早く!オープンざシャッター!ゲートを開けてくれ先輩。

カバンをごそごそする先輩。
「あ、俺鍵持ってないわ。昨日最終と違ったから。上司(課長)さんが持ってくるわ。立川に住んでるから、えーっとあと30分ぐらいでくるんちゃうか?」と。もってへんのかーーーい!もってこんかーーーーい!時差方式!

先輩は仕事関係の本を読み始めた。待たされるイライラはないようだ。いつもマイペースだからなぁと。

土曜日の茅場町、シーン!閑散としている。そうこのエリアは証券会社が多い。証券マンたちみんな休んでる。いつもの喫茶店も休んでる。あの喧噪がウソのようだ!店を利用してのトイレは不可能。

あと30分。とんでもないニックネームがついてしまうのを避けるべく、
先輩に「ちょっと駅に忘れ物」だけ告げ、5分かけて東西線茅場町駅に戻った。駅の階段から上司が歩いてくるじゃないか。

「おう!なにしてんの?」
「忘れ物を」
「そうか」
(忘れ物を届ける方ですけど、駅のトイレに)

淡白すぎる会話。あなたを待っていたんですよ!待てばよかった!

でも目的地は目の前!僕は駅のトイレに向かった。土曜日なのに満員の駅トイレ。どこに行くの?どこも店やってないよ。再び会社へ戻る。猛ダッシュ。遠くから会社のシャッターが空いているのを確認できた。

痛恨の判断ミス!やっぱ上司(課長)と会社に行けばよかった!!!!

そして、僕のゲートは開く。ゴゴゴゴ!!!
サポートに来ていた内転筋たちは解散し、括約筋たちもやれることはやったといわんばかりの脱力感。

一度家に帰ることも考えたが、意外と被害は最小。コンビニに立ち寄り、下着を買った。あとは大人の処理をしたのだ。詳細は書かない。仕事もちゃんとした。それが大人だ。たくさんコピーも書いた。
今から27年も前のことである。よく覚えている。記憶が鮮明だ!

言いたいことはウンコじゃない

大人になってもそんなことはある。基本人間なんて身体サイズ以外は成長なんてしていない。心は小学生の頃のままだ。小学生の頃よりも、多少対処療法を覚えたぐらいで、焦り度合いは同じ。同じだよ。

あぁ、、、noteで1回しかしちゃぁいけないウンコの話をたいしたオチもなく、この程度の盛り上がりで終わりそうになっている。その方が危機感ある、自分の構成力に。

校正しているときの僕の心境です

ウンコの話が比較的鉄板なのは、そこにあふれる悲しみや悲壮感が鬼気迫るものだからだ。普段そういった感情は笑いにはなりにくい。だが、みんな心のなかで、とても似たピンチを味わっている。そんなあるある心境のなかで、知らぬ間に自分と他人の境界がとっぱらわれる。自分のピンチに置き換え、脳内再現し、笑うのだと思う。これは、面白い笑いというよりも、笑うしかないという消去法的感情の発露なのだ。

そして、ここで、読んでる皆さんが笑っていない場合は、このエッセイの構成と筆力に原因があるのだ。

僕たちの心の中にはいつもウンコの話があって、それらが見えない形で地球を漂っている。もしかしたら、世界平和の鉄板トークになるのかもしれない。

僕がフリーランスのメリットとして考えることとは

フリーランス、自由でいいよねっ。てよく言われる。そりゃぁ職種分類上「フリー」なんて言葉をカンムリってますから、自由だ。だが、サラリーマンたちは本来の意味で「フリー」の意味をわかっていない。

フリーランスのフリーとは自由にウンコができるってことなんだよ。誰にも縛られず、どんな時でもウンコができる。何者にも縛られない。この安心感たるや、一体何に変えられよう、いや変えられない。これぞ自由と呼ばずして、何を自由と呼ぶのだ!

小学校・中学校・高校と多感な頃は、ウンコすることさえ困難な時代。誰もがする生理現象をなぜ好奇の目で見る。

大学ではどこでもウンコはできるが、同志社大学(母校)の興戸駅から大学までの坂でもう漏れそうになったことは何度もある。トイレは多いしキレイだけど、学校が広すぎて、トイレにたどり着けない。

みんなグーグルアースで試してみて!駅から大学まで遠いんだから。坂道を上るときだけ、ゲートに力が入る(括約筋が閉まるんだろうな)。

そして社会人。サラリーマンの天敵は通勤だ。とにかく、前日何を飲み食いしたかが大切だ。お酒なんて飲みすぎたら翌日漏れなく腹を壊し、漏れなく漏れそうになるYOYO!

ただでさえ、通勤は地獄道なんだから、腹痛対策にトイレの位置・時間帯状況を把握しておく必要がある。場合によっては乗り継ぎ・降りる駅ではなく、閑散とした途中の駅のトイレ、この状況把握は必須だ。

フリーランスはそういったしがらみから完全に開放される。自宅のトイレは使い放題だ。次に待っている人のプレッシャーはない。他人がどう使ったかなんてことも気にしなくていい。キレイだ。もう、ウンコし放題なのだ。

と思ってたら、打合せで出張となり朝から何度もトイレに出入りする羽目に。もしかして、フリーランスのフリーは自由にウンコができるという意味じゃぁないの?ね。。。たまに電車に乗ると、緊張もしちまう。トイレマップ必要じゃねぇか!!!

いかがかな?ここまで、「ウンコ」という言葉は、←も含めて15回登場。しかし、体感的には400回ぐらい出てきた感じがする。

アメリカの戦争モノ映画観てると、「お前らはクソ袋だ!」みたいな翻訳に直面するが、私らそんなにデカい袋だとしたら、もう少しキープできていたし、漏れることなんてなかったと思うのだ。

あんまりウマくオチなかったなぁ。みんな自分のウンコエピソード大切にして、まとまってからnoteに書いた方がいいよ。ルールは1回しか使ったらダメってこと!

さぁ、ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。今日読んだお話、不快だったなぁという方は見なかったことにしてサッと忘れましょう。ウンコだけに「見ず」に流しましょうってことで。ベンベン(便便)!

おしまい

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