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期待をしない、気合を入れない

私は何に対しても期待をしてしまうところがあります。
あと余分に気合を入れてしまうところもあります。

期待すると、期待外れだったときに落ち込む。
気合を入れすぎると、あっけなさのギャップに落ち込む。

私の場合はどちらも無意識にやってしまうものなので、最近は気づいたときに「期待をしない、気合を入れない」と合言葉のように唱えています。

ほんとうは「~ない」みたいな否定的な言葉を使うのってあんまり精神衛生上よくないかも?と思って、期待の反対を調べたら「失望」ってでてきたから、いやーそれは違うよなあと。笑


でもこれをするだけで、結構ものごとをフラットに捉えられるようになっている気がします。何か想定外のことが起きても、無駄な気苦労が減るというか。


突然ですが、芦田愛菜ちゃん(さん、と呼ぶべきか)の「信じるとは」について語ったお話、知ってますか?
私すごくあれに感動して、今でもたまにその動画を見返してしまいます。

せっかくなので全文貼っちゃう。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

芦田愛菜「信じる」が中国人も称えるほど深い訳 年齢も国境も超え、天才子役から人格者に成長 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

純粋にこんな言葉を紡げることがすごいし、大人だなーって思いました(何様)

ここに書いてあるように、「期待する」ってその人やものごとに対して自分の理想像を持っていて、そうであってほしいと願っているからこそ生まれる感情で。

単純に、誰かに期待する・されるって良いことだとは思います。逆に期待されなくなったら、無関心に近いし。関心持たれているだけましかなと思う。


でも期待外れだったら、愛菜ちゃんの言うように「裏切られた」とか「残念だ」とか思う(思われる)。しかも大体の場合は一方的に。

そんなの嫌だよなー。どちらの立場でも嫌だな。

第一印象はポジティブだと思ったけど蓋開けたらネガティブだったって言われるのも困るし(私はこれで困ってる)、逆に意外とそういうキャラなんだね~って思う側もショックだよね(場合によるけど)。


そう思うと、「期待をさせない」っていう立ち回りも必要なのかもしれないな。

勝手に期待されて勝手に評価が落ちるくらいなら、変に取り繕わず、ありのままを見せることも、ときには大切かもしれませんね。うまく世を渡るには。
(とはいえ私はポジティブアピールなぞ一切していないのにどうして第一印象ポジティブ認定されがちなんだろう。ムズカシイネ!)



とはいえ、なんだかんだ信じるって大切だと思います。大切?というか、素敵なことだと思います。

信じるからこそ、幸せって成り立つんじゃないかな。
パートナーが浮気していないと信じる、とか。笑

信じることに理由はいらないって、誰かが歌っていたし。
これからも私は信じたいものを信じて、でも過度に期待せず気合を入れず。
なるべく気楽に生きたいと思います。


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