だから、OK Computerが好きなんだと
おれは、常に、敗北者として、生きている。
顔面はむろん平均以下、好きなコンテンツはすべていわゆるサブカルチャー的なもので、コミュニケーションが下手くそ。ただただ成績が良いだけの存在だったのに、アイデンティティの崩壊だとか、病的なまでの無気力を味わってからそれも怪しいものになっていった。自分のメンタルの強度なんて、それは、叩けばすぐに壊れてしまう、硬度もクソも、なにも、何にも、無い。そんな代物である。
人生の敗北者である、という事実をわからされたのは小学二年生の時だ。
いじめを受けていた。あれはクソガキのお遊びにしては割と酷いものだったと記憶している。
昔から水辺で遊ぶのが好きだった。雨上がりの、まだ消滅していない水溜まりの近くにしゃがんで、そこある泥をかき集めて、泥団子を作るのが好きだった。海やプールで遊ぶのが好きだった。流れてきた海藻の類を集めて、それで山を作るのが好きだった。
当時の自分が校外学習で大きい公園に行った時も同じように、水辺でちゃぷちゃぷ遊んでいた。そこには小規模だがプールがあった。そこで遊ぶために着替えも持ってきていた。
で、それが済んで着替えを終えたあと、俺は小さい川のようなものが掘られたところに来た。あまりよく覚えていないが確かそこにはなんか木で作られたアスレチックがあった。それで遊ぼうとしていたときに、いじめっ子がたまたまそこにいたことに気付いた。そこからはもう、アレである。
腕を引っ張られて、それで川に落とされてしまった。
そのはずみでそのいじめっ子も落っこちてたのは覚えている。だが困ったことにその時の俺は着替えを二回分用意していなかった。だから、確かその校外学習は下着で帰らされた覚えがある。
他にも牛乳を無理矢理飲まされたこともあったし、いじめっ子の私物に触ったら殴られる、ってこともあった。一度腹にそれを食らわされたことがあった。
苦しかった。あれは人にやることじゃない。何が嫌かって、腹を思いっきりパンチされると、まず息ができなくなる。上手いこと酸素が取り込めず、まるで陸上に放り出された魚のように、ぱくぱくと口を開閉しながらのたうち回ることになる。痛いというよりか、苦しいのである。
そのくせ殴り返したりしたらこっちが怒られて、もう頭がおかしくなりそうだった。クソガキのくせに本気で死のうと思っていた。
過去に自殺未遂をしたことは一回だけあった。確か中一の時だった。勉強も上手くいかないし、先述した小学生時代のそれほどではないが軽くいじめられていたし、思春期で親とも反りが合わなくて、とにかく人間不信で気が狂いそうだった。
だからパソコンのコンセントで首を吊って死のうと思った。けどダメだった。普通に怖くて途中でやめた。
精神がギリギリまで追い詰められてしまうと、なにか自分が自分でなくなるような感覚を覚えることがある。
本当に何かわからないのである。自分が。何者であるか、そんな至って単純な問いが。
こんな俺にも自我、もしくはそれを模したなにかが存在する(はずで)ある。だからこそ敗北し続けているのである。しかし分からなくなるのだ。本当に自分は自分たりえる存在なのか。というか存在意義はあるのか。
ところで、RadioheadのOK Computerっていいよね。
その話がしたかった。けど何故オケコンが好きかについて語るとやっぱり自分の身の上話をする必要が出てくる。ふつうに。つかそんぐらい病んでるときに身に染みるのがOK Computerなのである。
最初は寝ました。はっきり言って最初聴いた時は超つまんなくて寝ました。
何回目だろう。数えてないけど、めっちゃ、めーっちゃ聴いたときにはじめて、Karma Policeで泣きました。
こん時ベンズもKID Aもそんな良さわかってなくて強いて言うならPablo Honeyが好きってぐらいだから、あーレディオヘッドこうなるのか、ふへー、良さわかんねえ、諦めようかな、とか、それくらいにしか捉えていなかった。
ほんでももう一回聴く価値は確実にあると思った。とりあえずAir bagから漂う名盤感。あと評価アホみたいにたけーし、ただこれの良さがわかんないのは、おれが明るい音楽が好きなオアシスキッズだからだと判断はついていた。
でも一回病んでる時にあれを聴くと、かわります。すべてがかわる。OK Computerは大名曲しか入ってないような超名盤でした。ありがとうございました。
美しくて、何か砂上の楼閣のように触れるとすぐに壊れてしまうような不安定さが、Radioheadの醍醐味だと思う。このアルバムはそれをよく表している。Computerっていってて、前作のThe Bendsよりか少し機械的で冷たい曲が多いと思う。Airbagだとか、Paranoid Androidとか。Let DownとかThe Touristとかは、何か機械と人間の中間のような感じがする。
The Bendsは完全に人間の内発的な叫びに近いようなイメージが聴いていてまざまざと浮かび上がってくる。でも、オケコンは、何かもう少し厭世的だ。なんだかぎりぎりまで追い詰められて、最早感情の起伏さえ失ったような。
No Sueprisesがまさにそうだと思う。あれ結局自殺の曲だし。
あれを聴いていると、あの子守歌のような甘美なメロディが聴いている側の心をゆったりと浸食してくるような感触がして、とても気持ち悪いけど、それでもずっと聴いていたくなる。気づけば眼が熱くなって、聴き終わった後には涙で顔がぐしゃぐしゃになってしまう。あれはそういう曲だ。
なぜこのアルバムが人生の敗北者たる自分にここまで刺さったのか。
さて、話をそこに戻そうと思う。
ここまで書き綴ってきた通り、俺は人生における敗北者である。もはや惰性と創作意欲と推しに生かされているような、そんな人間に成り下がってしまった。
なぜ、このアルバムがそんな自分に刺さったのか?
簡単なことだ。このアルバムは一酸化炭素のようなものだからである。
一酸化炭素中毒。No Surprisesで歌われていたように、ひとたび練炭を焚いて、一酸化炭素と手を繋ぎ、不安も、驚きもない、静寂の世界へと意識を手放し、堕ちていく。
このアルバムはそれを疑似体験するようなアルバムなのである。このアルバムのトムヨークのボーカルとか、もう、それは三途の川に浮かぶ船の船頭みたいなものである。サブスクなりCDなりなんなりでこのアルバムをかけて、ヘッドフォンをつけて、目を閉じて聴いてみて欲しい。
俺はそれだけで意識を手放してしまいそうになる。眠いとかそういう次元ではない。何か本当に、幽体離脱をするように、理性が抜けていくのである。
そして浮遊するかのような感覚にとりつかれていく。
そしてThe Touristが終わったその瞬間に、その夢から覚めるわけである。
聴いていてそんな体験ができるのはこのアルバムくらいだと思う。
今となっては、いつ聴いても素晴らしいアルバムだあ、とか思いながら普通に通学中に流したりするのだが、そんなときに聴くOK Computerも、嫌なことがあって落ち込んでいるときに聴くOK Computerには敵わない。
その瞬間に聴くときのOK Computerこそ、まさに「一酸化炭素のようなアルバム」として、リスナーに作用してくれるのである。
ちなみにKarma Policeが一番好きです
2024年6月1日(土)
塩田1960
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