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世界が広がって気づいた自分の個性


"個性"ってなんだろう?

キリッとした奥二重の目?
子どものように小さく短い指?
それとも身長に反して大きな足?

私は昔から"超標準的"
身長158センチの50キロ
クセのないストレートの黒ともブラウンともとれる髪色。
人と少し違うところといえば、
人混みでもよく響く甲高い声ぐらいだろうか。
見た目が普通な上に、
時間にきっちりしていて、人の顔色や場の雰囲気はよく読む、
かなり日本人的な人間だ。
よく言えばクセがない、悪く言えば個性がない。
昔からこんな自分が嫌いだった。
いつだって集団の中に埋もれてしまう。
真っ白な肌のあの子が、
すらっとした手足をもつ高身長のその子が、
◯◯ちゃん=××のような
言葉にひとつでその子を象徴できるような特徴を持った子が羨ましかった。
とてもとっても羨ましかった。

去年のある出会いをきっかけに外人の友達が一気に増えた。
フィリピン人の女の子やブラジル人の男の子、
韓国人の年下の子やアメリカ人のおじさん。
年齢も性別もバラバラな友人達は決まって私にこういう。
「あなたは私の国にいないタイプでとてもかわいいね」
そもそも日本では埋もれてしまうこのサイズ感の人間は、
外国人からするととても低い。
加えて肩幅も狭く骨格の小さな私は、みんなからすれば少女のようで、
平均身長も高く、骨格の整った外国人からすれば、
かわいい以外の何者でもないというのだ。
黄色人種特有の、白にも黒にもなりきれない肌も、
真っ黒になりきれない深いブラウンの髪色も、
それに合わせたような眼の色も、
外国人からすれば、自分の持つことの出来ないパーツだらけで、
可愛くて仕方ないというのだ。

逆に言えば私はみんなが羨ましい。
アメリカ系の長い足にブロンドの髪色や、
ヨーロッパ系の吸い込まれるようなブルーの眼や、
黒人特有の黒い肌と白い歯のコントラストも、
逆に同じアジア圏ながらキリッとした顔立ちの中国系の人達も、
私にはないものを持っていて、あんな風に生まれたかったなと、日々思う。
性格だってそうだ。
思ったことをはっきりと言って、自分はこうだと主張出来るのも、
寝れば忘れるんだよね。という大らかな性格も、
待ち合わせ時間が近づいてきても時計なんか気にせず喋り続けることができる、
いい意味で他人に気を遣わない性格も羨ましいと思う。
つまりはお互いに日々無い物ねだりをしているのである。
そんな風に、自分を羨ましいという、
自分とは全く違う見た目を持つ人たちのおかげで、
自分の個性を認識できるようになった。

日本は比較的同じような環境のもと、
同じような見た目で、同じような生活の人と関わりながら育つことが多い。
少なくとも私自身、似たような見た目の集団の中で育ってきた。
ところが、いろんな人種の人間と触れ合う中で、
"当たり前"だと思っていたことが"自分の個性"だと気づいた。
みんな誰しも特別な組み合わせで出来ていて、
普通の人なんてこの世に1人もいないのだ。

わざわざ作らなくても、
誰かに憧れたりしなくても、
ありのままの姿が自分の個性。
いいところも悪いところもひっくるめて個性。
好きなところも嫌いなところもまとめて世界でたった1人の自分。
広い世界を知ったことで、
少し自分の見た目が好きになったお話。

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