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夢コンプレックス (前編)

様々な場面でテーマとしてあげられる「夢」

私の中で将来の夢=なりたい職業であった

おそらく私が人生で初めて考えさせられたのは幼稚園の時

卒業アルバムのようなものに自分の描いた絵とともに将来の夢を書く必要があり当時は何も考えず知っている職業の中から「お花屋さん」を選んだ。

幼稚園の頃はそれでよかった。

親も友達もみんな本当に「お花屋さん」になりたいという選択を信じてもいないだろうしましてや将来「お花屋さん」になりたいからといって特別に応援もしていなかったと思う。

そして小学校の卒業文集。

ここではどうだろう。幼稚園の頃とは何かが違う。知っている職業から適当に選ぶだけで書くことができなくなっていた。私だけではない。周りの友達だって、幼稚園の頃は将来の夢が「ウルトラマン」「仮面ライダー」「お姫様」「女優」だった純粋無垢だった子供たちが現実を知り「公務員」「消防士」「看護師」「美容師」となんだかリアルになっていた。まだ中には少しテストの点数がよくない子で「医者」「弁護士」と書いている人はいたが・・・それはそうとしても、夢の幅が広くなったのか狭くなったのか、それはとらえ方にもよるが、将来像として一気に現実味を帯びてきた。そして周りの友達や親たちもそれを応援するようになった。

そんな中私はというと自分の「夢」がわからない状態であった。仲のよかった友達が「保育士」と書いていた。そのまま真似をするのもなんだか嫌だったので私は「幼稚園の先生」にしてみた。

そして中学校。ここは最悪だ。

入学して早々に「職業体験学習」というものがあった。ほとんどの人が体験済みだと思うが、なりたい職業の現場に行って1日だけその職業の体験をするというものだ。将来の夢を見つけられていない私にとって文集よりも難しい問題であった。私は「看護師」を選んだ。ナース服を着せてもらった以外の記憶が無い。これは余談だが、もし私が「旅人になりたい」と言っていたらどうなっていただろうか・・・20代でバックパックパッカーのような事をしている私は「旅人」という選択肢を中学生の頃に知っていれば何か違ったのかどうなのか??

中学生の頃の「職業体験」は人によっては自分の夢が目標に変わる大事な体験かもしれない。

実際中学校の同級生で「職業体験」で行った通りの職業に就いている子は何人もいる。そういう人たちは純粋に尊敬する。夢に向かって努力している期間は中学校の頃からと考えるととても長いし、私にはできなかったことなのでとても眩しく見える。

そして中学を卒業し高校生になる。

「夢」のない私は商業高等に入学した。私は多くの女性は「OL」という職業に就いていることを知った。会社員だ。特に「夢」と掲げなくとも将来仕事をすることができると知った。そしてそれには「資格」が有利だということも知った。だから商業高等で簿記やパソコンの授業を受け、毎月のようにある資格試験に向けて勉強をした。特に商業に特化した勉強が楽しいと思ったことはなかった。ただ、中学生の頃から苦手だった英語や数学の授業数が普通高校に比べ少ないことはラッキーだと思っていた。

そして商業高校でも「働く」ということを考える機会はたくさんあった。

離職率の話や就職窓口の広さ、大学卒業資格の事などを考え私は短大へ進学した。

「夢」の無いわたしにとって高校を卒業した後も4年間も何かに特化したことを勉強するのはお金も時間ももったいないと思い短大を選んだ。

本当にあっという間の2年間。1年生の後半には就職対策の構内説明会が開かれ、遊ぶ余地もなく就職について考えさせられた。

でも短大はなんだか心地が良かった。なぜなら周りの友達も具体的な「夢」をもっておらず、短大を卒業したら「会社員」になろうと思っている子ばかりだから、私が「夢」を持てずにいることを恥じることも焦ることもなかった。「夢」の無い私が少数派ではないという居心地の良さだったのだろう。それ以外にも価値観の近い友達に恵まれて短大生活は楽しかった。

しかし就活は苦労した。いわゆる就活氷河期ではなかった。単純に私に原因があったのだと思うし運も悪かった。

なにがともあれやっとの思いで内定を1社からもらった。

その会社に就職した。4年3か月働いた。

そこで私はこれまで気づかないうちに「夢コンプレックス」を持っていたことに気づき、そして行動にでた。

就職後の話から夢を見つけ夢を叶え、また夢を見つけた話は後半で。





#はたらくを自由に

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