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【TRPG関連】創作TRPG/ソロジャーナル「In seaside,so said.」を作ったよ


In seaside , so said. サムネ

 文章として形に残る物語を初めて作ったのは、小学五年生の「物語を作ってみよう」という題の国語の授業だった。
 お題となる絵から、どんなルートを辿ってどんな結末を迎える物語が作れるのか、そんな感じだったと思う。TRPGの世界に慣れ親しんだ今、思い返すと、これも一人でできるアナログゲーム・ソロジャーナルにも近いのではないだろうかと感じる。

 ソロジャーナルについての話に入る前に、少し自分の話をする。

 私は物語を作るのが好きだ。見るのも好きだ。漫画、小説、映画。自分でより楽しく、思い描く物語を書くために勉強もしてきた。だからこそ、物語には構造があるということを少しは知っている。

 学生時代にTRPGを知り、遊ぶようになり、当然シナリオを書くようになり、自作でシステムも作った。勉強した手前もあるが、私は物語の内側、構造を知ったり、構成を考えたりするのがわりかし好きなようだ。

 自分の作る作品が人に届くことは嬉しいと思う。だがずっと強くそう思っているわけではなかった。そう思う自分の心、そこに何か薄っぺらいものをずっと感じていて、それは「創作する人間はそう思うべきだ」とずっと思っていたからかもしれない。そうでなければならないというような。

 小説や漫画だけでなく、シナリオやシステムを作ってみるようになり、TRPGのようなコミュニケーションの必要なゲームにおいて、物語を載せるためのシステムを考えること、つまりPLに届いた時に、その人だけの物語を作る根幹を補助し、手助けができる、という感覚が最近、ふとあるように感じてきた。私はそういうことがしたかったのだなと思う。
 それは演劇の脚本を書いているときと近く、私は人が物語を上乗せして、乗算され、さらに昇華されて人に届く、それがまた物語を生む。そういう連鎖が好きなんだろう、という気がしてきた。

 同時にそう気づいたことで、自分で作る小説や漫画、物語を作るということをより愛せるようになった。私は私の物語が好きだし、完成すれば根源的にそれはそこで終わる。それを大事にできていなかったというだけだった。そして手放した後のことをすぐ考えていた。根源的に終わったそのままの物語を大事にすること。初めて物語を作れたあの頃の喜び。目の前に物語が生まれる喜び。それを忘れていた。
 受動的であり能動的に——双方があってこそ物語を生み出すことのできるコンテンツに触れたことで、ようやく理解した。それが最近の気づきだ。

 ソロジャーナルの話題に入る。

 ソロジャーナルとは、一人で遊べるアナログゲームのシステムの一つだ。名前の通り、一人で日記をつける。ただし、ただの日記ではない。あなたは何者にでもなれる。そのシステムの世界観に則り、何者にでも。

参考先抜粋↓

 今はソロジャーナルもさまざまな盛り上がりを見せている。今回記事を書いているのも、アドベントカレンダーの企画にお誘いいただいたことがきっかけだ。

 一人で遊べるゲームとして、例えばCoCならKPレス、他のシステムならGMレスと称され、そのシステムに則り、GM役を立てなくても一人で遊べるものがある。ソロジャーナルもまた、システムの世界観のみで遊ぶことができるゲームであるからして、GMレスとしてもいいのではないかと個人的には思う。(遊び方がシステムに則る、という点での、広義)

 ソロジャーナルもさまざまな道具、ルール、システムがあるが、主にダイスを使ったり、カードを使ったりというのが多い気がする。

 私が今回作った「In seaside,so said.」もまた、ダイスとカード(トランプ)を使うシステムだ。

 「In seaside,so said.」は、海を訪れ、その海にある漂着物などを拾いながら、さまざまな思いを巡らせる……という世界観のソロジャーナルだ。また、複数人で遊べるTRPGともしている。

 今まで1ページTRPGや自作の短いTRPGシステムなどを作ってきているが、スナックゲームのような感覚で別のシステムにもドッキングできるワンシチュエーションのものが多い。これもまたワンシチュエーションといえばそうであるが……。

 トランプを使おう、と思ったのは、「アイズ・オン・ザ・プライズ」や「我らが王の身罷りて」など、トランプを使うTRPGに触れる機会があり、「おしゃれだな」と感じた次第である。いいなと思ったらとりあえずやってみる精神。大事にしていきたい。

 海を題材にしたのは、私は海や水辺を特別な場所だと思っているからだ。海の揺蕩い、川の流れ、そういったものを一人でぼーっと見ていると、心にあらゆる思考が生まれてくる。そういう経験からだ。

 私は心に海を飼いたかった。つまり自分のためのソロジャーナルでもある。
 その海で拾い物をし、宝物としていく。漂流物を収集する、ビーチコーミングという概念を完成後に知った。完成前に知っていたらもっとスタイリッシュな言い回しもできたかもしれないが、海は格好つける必要などなく、根源的で、ありのままの粗さすら受け入れてくれるだろうと思うし、きっと先に概念を知っていたらわざわざ作ろうとは思わなかった。作っていたとしても、もう少し規模が小さいシステムになっていた。もう名前を知った概念を分解してまでシステムという行為に置き直す必要は自分にはないからだ。

 「In seaside,so said.」をソロジャーナルという形に寄せて作ってみた上で自分で遊んでみて、おおよそ自分の得たいものが得られたという感覚だ。私はいつでも戻れる海を手に入れたことに満足している。

 世界観の中で偶発的に(乱数調整的に)起こる出来事に身を任せ、話を作り上げていく。初めて物語を作り上げた時の、無意識の接続と世界観との交信。ソロジャーナルやGMレスにはそういう、一人で空想と向き合う楽しさがある。

 私の取り留めのない感想よりも、ものは試しが一番いいと思う。TALTOというTRPGのシナリオ投稿サイトやBOOTHなので、無料公開されている作品も多い。ぜひ一度、遊んでみてはいかがだろうか。
 よければ自作も遊んでみてもらえると嬉しい。

↑TALTO ソロジャーナル一覧のページ

↑TALTO版「In seaside,so said.」のページ

【ログを元に小説を書きました】
小説も書く人間だし、元々小説用のnoteなので、せっかくだからと小説形式にしました。他愛無い海の夜の話。

【お知らせ】
 記事の公開に合わせ、「In seaside,so said.」の基本ルールをBOOTH、TALTOで無料公開します。これは永続的です。
 また、追加の「カード_確定行動編」「拾い物_財宝編」を有料版に追加しました。すでにお買い上げくださった方は追加でダウンロードすることが可能です。

◆次回作ソロジャーナル/TRPG 予告◆

「Night Goes On. with Us」ナイト・ゴーズ・オン (ウィズ・アス)
ヴァンパイアとヒトが暮らす島「Vanpone」(ヴァンポーネ)。あなたたちはヴァンパイア、またはヒトとなり夜を歩く。愉快な夜を、あなたと共に。

画像はイメージです
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 これもトランプとダイス、ISSSとほぼ同システムで作ろうと思います。
 来年出せたら嬉しい。どうぞよろしくお願いします。

宣伝用X(Twitter)アカウントは @vppo_hakata !よろしければフォローして他シナリオなども確認してネ…


しおのはかた/塩野秋

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