ラピスラズリと二重星【過去作】

ラピスラズリと二重星

 彼がまばたきをした時、すぐに違和感を覚えた。
 左の瞳は宇宙だった。濃紺に散らばる星屑が、渦を巻いて輝いている。将太はそう感じた。思わず身を乗り出して、照れてはにかむ転校生を見つめた。
 クロシマセイですと澄んだ声で、教壇の前の彼は言った。彼の後ろでは先生が、きっちりとした文字で『黒島 星』と白いチョークで書いた。大人びた顔と、透けるような白い肌に、色素の薄い髪が、儚さを思わせる。星の王子様だ。幾人かの女子は、友人と華やかな声をあげて彼を見た。
 将太は左目の宇宙に引き込まれていた。クラスメイトの何人かも、彼の瞳の違和感に気付いて、周囲の友人とざわめきだした。
そんな雑音は、気にならなかった。
将太の瞳には、黒島星しか映らない。周りはぼやけて、ざわめきはボリュームを絞ったように小さくなる。彼のまばたきのたびに、星が零れる。将太の視線に気付いたのか、黒島は透き通る金の髪をゆらして笑いかけた。
「黒島くんてさ、頭いい?」
昼休み、将太は誰よりも先に黒島に話しかけた。その前にも休み時間のたび話しかけようとしたが、すぐに人だかりができてしまっていた。
「どうだろう……はっきり断言できる方ではないと思う」
 恥ずかしそうに、困ったような笑みを浮かべて頬をかいた。
「えっ、またまた。嘘だよ」
「え、何で」
「だってこの高校、一応成績トップクラスだよ」
芳城高校は、上位と会に差はあるものの、有名大学への進学率は高い。そこへ編入試験を受け合格をしてしまったのだから、頭の悪いはずが無い。
「まあでも、俺はスポーツ推薦だったんだけどね」
将太は舌を出して、肩をすくめた。黒島は、しばらくポカンとした表情を浮かべていたが、柔らかく微笑み、照れたように白い頬を紅く染めた。
「じゃあ、運動部なんだ」
「うん、陸上」
「うらやましいな。僕、運動は苦手だから」
絹の髪の下に、左右の異なる眼の色が覗く。一つは宇宙の色で、一つは深い緑を宿していた。
「黒島くんは、ハーフ?」
「いや、クォーター。おじいちゃんがイギリスの人」
「かっこいいなあ」
「そうでもないよ」
黒島は眼を伏せ、前髪を整えた。手の隙間から、気恥ずかしそうな顔が見えた。
あたりさわりの無い会話だが、将太は彼に心を許していた。そして日差しを受けて輝く、左眼の宇宙の色により強く惹かれた。
 深い青に、小さな星が瞬いている。美しい小宇宙を、もっとよく見ていたい。将太は、黒島の一番の友人になろうと心に決めた。
だが、とても興味があるのに、何故だかその眼のことについて訊く気にはなれなかった。
もし、触れてはいけないことだったら。将太は得体の知れない、静かな恐怖を感じていた。
黒島と眼が合ったとき、彼は将太の気持ちを見透かすように微笑んだ。とっさに視線をそらして、わざとらしい渇いた笑いをこぼした。

二人が親しくなるのに、さほど時間はかからなかった。
将太ははっきりした顔立ちで、性格も明るくクラスでも目立つ人物だったため、彼が黒島と並び歩くことは当然のことのように思われた。
将太は、思惑どおり彼の隣を得て、瞳の宇宙を間近で眺めることができた。しかし未だに、彼にその眼のことを訊く勇気は無かった。
いつかは訊くべきだろうか。中庭の日差しに眼を細めながら、ぼんやりと将太は黒島の隣に座り、夏の暑さに身を委ねた。草木はこうこうと輝き、日向の熱を思わせた。日陰でとはいえ、汗が滲む。
黒島の横顔を盗み見ると、透けるような白い肌が薄桃色に色づき、うっすらと汗を浮かべていた。ぬるくなりかけた缶コーヒーを飲み、喉を振るわせる。すっきりと通った鼻が、美しい輪郭を浮き立たせ、宇宙色の瞳をより印象的に魅せた。
「そんなに気になる?」
黒島の言葉に、我に返った将太は、見透かされたように感じ、動揺した。彼はいつも、将太が左側に座ると、覗き込むように顔を見る。絵のような美しさを持つ彼にまじまじと見られれば、少なからず動揺がある。
「気に、なるって?」
将太は少し強張って、わざとらしい言い方になった。
「僕の眼」
左眼を指して、黒島はにっこりといたずらな笑顔を見せた。
まさか、と否定しようと口を開いたが、少し迷って、ゆっくりと頷いた。黒島は満足したように、さらに明るい笑みを浮かべた。延びた日差しが、金の髪を照らし、消え入りそうなほど眩しかった。
「僕、左眼が見えないんだ」
将太は、耳を疑った。あまりにも何気なく、黒島が口にしたものだから、自分の聞き間違いだろうかと彼の瞳を見つめ返した。
「だから、これは義眼。ニセモノの眼だよ」
長い睫毛が瞳に被さり、その本質は上手く見えない。黒島は長めの前髪をかき上げ、陶器のような肌をさらした。
「不思議な色だと思うだろう、これ」
瞼を開き、左右異なる瞳をみせた。よく見ると、深い青に輝く左眼は瞳孔が動いていない。
「ほんとうに……」
 将太は呆然と呟いた。義眼というものを初めて見た、その衝撃は静かに頭を回った。それ以上に、正体が知れても輝きを失わず、いっそうきらめくその瞳は、やはり不思議な魅力を持っているのではないかと思われた。
「これさ、ラピスラズリっていう石でできているんだ」
「ラピスラズリって、あの天然石の?」
「そう。お母さんが中学生に上がったときにくれたもので、僕のお守り。僕の誕生石だからって。」
 黒島は嬉しそうに頬を染めた。いつもの印象よりも、少し幼いような彼の姿に、将太は思わず微笑を浮かべた。
「そっか。いいな、なんか。黒島くんの眼って、宇宙みたいな色だなって思ってたんだよね」
「宇宙か、将太いい表現するね」
「そうかな」
 将太は褒められたことで、少し照れくさい気持ちになった。頭をかいて誤魔化しても、自然と笑みが浮かんでくる。
「うん、なんだかいいね。俺もそんな綺麗な、宇宙の一部でもいいから欲しいよ」
 将太の呟きに、黒島はきょとんとした顔で、彼は言った。
「将太も、持っているよ」
「え、どこに」
 優しく微笑み、黒島は白く長い指を将太に向けた。右の目尻の下を指し、触れるか触れないかの距離で、うっすらとなぞる。肌に伝わる小さな刺激に、思わず瞼を瞬かせた。
「ほら、アルビレオ」
 二つ重なるようにある泣きぼくろを、そっと押して、笑った。
 ラピスラズリの瞳を輝かせ、彼はおかしそうに笑い声を小さくたてて、呆気に取られた将太の顔を見つめた。
 将太は口の端をむずむずと動かした。
 夏の風が、ぬるく吹いた。二人の髪を撫でて、汗や日向の匂いが鼻をくすぐった。

 数日後の放課後、将太は信じられない光景を見た。
 人の壁が出来た中心に黒島がいた。囲まれることは珍しくは無いが、どこかいつもと雰囲気が違った。駆け寄ろうとした途端、囲んでいた男子たちが、突然黒島に飛び掛った。
 何が起こったのだろうか。将太は急いで黒島のもとへたどり着いた。すると、予想もしなかった光景が広がっていた。囲まれていたはずの黒島が、流れるように男子たちをなぎ倒していった。青と緑の瞳が、いつもの華やかな輝きとは違う、鋭い光を放っていた。
「黒島くん!?」
 将太がそばによると、金の髪を美しく揺らす、汗だくの黒島が活発に笑顔を見せた。
「将太! 部活、お疲れさま!」
「ありがとうだけど、なに、ケンカ?」
「違うよ、タテ、殺陣。演技のアクションだよ」
 肩で息をしながら、腕で汗を拭った。見たことも無い活発な笑顔で、彼は楽しそうに声を上げた。倒された男子たちも立ち上がり、それぞれ感心の声を上げた。
「黒島くん、運動できないって言ってたのに」
「殺陣はまた違うよ。それに好きだからできているだけだし」
「そうなの?」
 将太は感心しつつ、首を傾げた。
「将太もやる? 将太だったらすぐできるよ」
 黒島は満面の笑みで、きらきらと星がこぼれるように、瞳を輝かせた。将太は、あまりにも楽しそうな彼の様子に、小さく吹きだした。
「うん、教えてもらおうかな」
黒島の殺陣の指導は、熱が入っていた。美しい型や、スピード感のある魅せ方を指導して、将太と他の男子たちも、彼が話す一言一言を真剣に聞いていた。いつもの彼とも違うその姿に、将太は思わず引き込まれた。
「すごいね、黒島くん。アクションが好きなの?」
すっかり日の暮れた帰り道、将太は溜め息混じりに、感心して呟いた
「アクションっていうか……演技とか、舞台とか好きなんだ」
少し照れたように、俯いて答えた。夜の端から覗く、微かな夕日が彼の姿を照らす。いつもは伸びた背筋を、肩を丸めてゆっくり歩いた。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。凄いことだよ」
「ありがとう」
珍しく子犬のような笑みを見せて、黒島は肩をすくめた。そして、しばらく俯いていた彼は、考え込むように黙り込んだ。
将太は彼の横顔を見つめて、彼の沈黙が破られるのを待った。何を考えているのだろうか。黒島の瞳には、殺陣をしていたときと同じ光が宿っていたように思えた。
「何を考えたの?」
「ちょっとね」
黒島は優しい笑みを浮かべて、いつもよりも凛とした表情を見せた。
彼の背中は、どこか覚悟を背負ったようなものに見えた。将太は、心に寂しさがじわりと広がっていた。

その日から、黒島は考えこむことが増えた。
どこか上の空で、より儚さを増した彼は、口数が減った。気がつけば勉強をしていて、何の勉強なのかと訊いても、はぐらかされることが多かった。
彼がイギリスに留学を決めたことを、将太は冬休みの直前に知らされた。
「どうして、もっと早く言ってくれなかったの」
「……ごめん」
 冷たい風の吹く中庭で、二人は同じ場所に、同じ並びで腰かけた。
「僕さ、イギリスで舞台を学びたいんだ。舞台監督になりたくて。どうせ学ぶんだったら、本場に行きたくて」
「だからって、相談ぐらいはして欲しかったよ」
 ごめん、と黒島はまた小さく謝った。
 せっかく近づけていたのに。
 将太は、目の前にいる親友が、休みが明けたらもういないという現実が、信じられなかった。それでも彼の表情や言葉の端ににじんださみしさが、徐々に心に溜まっていく。その奥でもう宇宙の眼が見れないことを、凄く残念に思った。
「だから、代わりに置いていこうと思う」
黒島は白い手で左眼を覆い、そのまま俯いた。何をするのだろうと、将太が覗き込む。黒島の動作は、将太に理解できず、まるでスローモーションのように映った。
彼が顔を上げて、ゆっくりと手を外す。そして、驚く将太に手渡した。
「将太に、あげる」
凛とした微笑を浮かべ、将太を真っ直ぐに見つめた。将太の手の中には、彼の、ラピスラズリの義眼があった。手にとって、無機物なのだと初めて分かった気がした。
「どうして、」
将太は手のひらの彼の瞳をぎこちなく包み込んだ。
「もらえないよ、だって、お母さんがくれたんだろう」
「もらって欲しいんだ。この眼をほんとうに好きになってくれたのは、将太だから」
黒島は将太の手の中に納まる瞳を見つめて言った。
「この眼には、たくさん不思議な力をもらったような気がする。見えないはずの左眼も、この宇宙の瞳を通して見えていたような、世界を輝かせてくれていたような。――この眼が無かったら、将太とも出会えていなかっただろうしね」
澄んだ青空を見つめ、黒島は小さく呟いた。
「たくさん守ってもらったから、置いていく将太にあげたい。僕の代わりに、将太を守ってくれるように。君の隣にいるために」
冬の風は冷たい。黒島の言葉とともに、耳を冷風が突き抜けていく。胸が締まるようで、将太の目頭は熱くなった。
「この眼がある限り、僕らはずっと繋がっているって、思うんだ。君も、僕を忘れないだろうから」
優しく、さびしそうに笑った。けれど、彼の言葉に曇りは無い。
黒島は、将太の目尻のほくろ優しく触れて、笑った。。その指先に、暖かい雫が流れ落ちた。
 黒島が去った後、将太は一人、中庭に立ち尽くした。手元に残った、ラピスラズリの義眼を呆然と見つめていた。
 美しさに変わりはないのに、なぜだか、初めて見たような輝きは無くなっていた。
 そうか。
 動かない思考のなか、将太は一つの答えを浮かび上がらせた。
「君が持っていたからだ。」
 一人、呆然と呟き、将太の瞳は自然と潤んだ。この宇宙色の瞳が魅せていた光は、黒島の瞳であったからこそ、輝いていたのだ。彼を含めて、初めて宇宙の小窓として役目を果たしていた。
 最後に見た、黒島の笑顔を思い出した。出会った頃のはにかみよりも、精悍な顔つきだった。宇宙の瞳は、既に将太の手元にあったはずなのに、彼の左眼には、この義眼よりも、広い宇宙が渦巻いているように見えた。
 将太は、何かが決壊したように涙を零しはじめた。彼が残した左眼を握り締めて、頬に押し当てた。
 とても短い時間だったけれど、ながいあいだ、彼の隣にいたような気がする。将太にはこれほど別れが悲しいと思った友人はいなかった。
走馬灯のように、黒島の記憶が将太の頭の中に映し出された。彼の左に座り、宇宙の一欠けらを眺めていたことを思い出す。殺陣を覚えて、組み手も真剣にしていたこと。記憶の中の彼は、常に将太に笑いかけていた。
当たり前のように並んでいた日々が、永久に訪れないことのように感じた。
黒島が言った、最後の言葉を思い出す。
冬の風が、将太の耳を撫でていった。黒島も同じように、冷たい風に吹かれているのだろうか。
ラピスラズリの義眼に目をやり、将太は濡れた頬を青空に向けた。




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