くまときつね

 冬眠できなかったくまは、話し相手に起きている動物を探しに出た。
 まっしろで、まるで右も左もないような、さみしい景色を歩いていると、なんだか不安になってきた。くまは、シーンとした冷たい耳鳴りに耐えられず、大きく吠えた。
 空気は振動し、どこまでも遠くに、その声は伝わった。木々が揺れ、雪がどさりと落ちる。
 答える声も、動物の姿もなかった。
 白い景色に、揺れる耳が見えた。
「くまさん遊ぼう」
 ぴょっこり、きつねが顔を出した。にんまりと笑う顔が愛らしくて、くまはすぐ駆けよってうなずいた。
 きつねは、とてもよく冬の遊びを知っていた。
「あっちの木の下は木のみが埋まっているよ」
 と言って、くまを案内した。本当にたくさんの木のみが埋まっていた。
「すごいねえ、きつねくんは」
 くまがそう言うと、きつねは笑った。
「僕のおやつ。一緒に食べよう」
「いいのかい?」
「いいさ」
 くまは木のみを、ほとんどぺろりと食べた。きつねは少しだけ、木のみを食べた。
「川の方は、氷ができているよ」
 普段は流れている氷が、白く固まっている。くまはぺろぺろとその柱を舐めたりかじったり、不思議そうに氷を嗅いだ。
「不思議だなあ、冬って不思議だと思わない?」
「どうして起きているんだい?」
 きつねが尋ねた。
「なんだか眠れなくて……僕、ともだちがいなくて、なんだかさみしくて、ここのところ、寝つけないんだ」
 くまはそう言って、ごろんと雪の上に寝転んだ。きつねはぐるりとその周りをうろついた。
「ふうん……僕も、ともだちいないよ。だからどこにも、居場所がないんだ……」
 くまは少し顔を起こし、きつねと顔をつきあわせた。
「じゃあ、僕とともだちになろう」
 きつねは少し驚いた顔を見せ、「いいよ」とうなずいた。
 くまときつねは、しばらく川沿いに雪の中を進んだ。
「どこまで行くのさ」
 くまがきつねの後に続いて歩きながら尋ねた。
「どこまで行こうかな……」
 きつねはてしてしと小さな足を動かしながら、少しも視線をよこさなかった。
「巣穴が遠くなっちゃうよ」
 くまは少し後ろを振り返る。
「僕もさ」
 きつねはそう言って、少し崖になっている場所に立ち止まった。
 崖の先に、雪でも、岩でも木でもないものが見えた。四角く整っていて、群れている。その周りに黒い線が宙に浮いて、細長い棒でピーンと張られているように見える。
「あれなんだい?」
「人間が住んでる場所」
「それ、なに?」
 くまがそう尋ねると、きつねは少し首を捻った。
「時々、山に来るだろう、足二本で歩く、変なやつだよ」
「ふうん……」
「あそこに人間が住んでいる場所があるんだ。みんな人は怖いから、降りちゃダメっていうけど……あそこは食べ物の宝庫なんだよな」
「怖い場所なの?」
「君は怖くないさ。多分ね」
「じゃあ君は怖いの?」
「さあね……わからない……」
 きつねはそう言ったっきり、しばらく黙りこんだ。
「ねえ、夕日が見えるよ」
 くまは鼻できつねの小さな顔をつつき、崖の方に目を向けさせた。滲む柔らかな光のかたまりが、薄明を放射線状に広げている。
「ねえ、またこうして遊ぼうね。僕ら、きっと特別なともだちになれるよ」
 くまは、うっとりと夕日を見つめた。いつもはぽつんとひとりで見ている夕日も、ともだちと見ると格別だった。
 しばらくして、となりをみると、きつねはぽろぽろと涙をこぼしていた。
 くまはおろおろとして、大きな図体をのそのそと動かし、きつねの毛並みを広い舌で舐めた。
 グゥ、と、腹が鳴った。くまは自分がいま空腹なのだ、ということに気づいた。
 きつねはくまに向き直った。きつねは、くまの体に鼻を押しつけ、体を長い毛並みに埋めた。なんて小さいのだろう、とくまは思い、腹の虫がより強まるのを感じた。
「君とともだちになれてよかった」
 でも、ときつねは言い、少し離れた。くるりと振り返り、小さく鳴いた。
「僕らともだちなんかじゃない、親から差し出されたんだ、僕は君に食べられるために」
「たべないよ」
「お腹が空いてるだろ……冬のクマっていうのは、もっと、凶暴なんだ。だから、あそこらへんの動物には決まりがあるんだ。いちばんいらないやつを囮にして、なるべく遠くに引き離すんだ……そしてそいつは、食われるんだ……」
 きつねは近寄り、くまは後ずさった。
「別に、構いやしなかったよ、いざとなったら逃げる自信だってあったけど、君、あまりにも優しいから……だから、君に食われるって思うと……」
 きつねはまた小さく鳴いた。
「いやだ……いやだ」
 くまはますます後ずさった。
「君はともだちだ」
 そう吠えた。くまの目は潤んだ。ぼたぼたと大粒の涙が貫ぬくように雪を溶かした。空腹を抑えるように、ぐるぐる唸る。目の前には、飛びつけば一口で食えそうな、柔らかそうなきつねがいる。
「ともだちになりたがるくまなんて、変だな」
 きつねは笑った。
「たりないと思うけど、これで、ゆっくり眠ってくれよ」
 グゥグゥと息を荒くして、食いしばった歯の隙間から流れる涎が、涙と混じりあっていく。
 くまは飛びかかった。きつねは、巨体が宙を飛ぶのをみて、にんまり笑って目を瞑った。
 予想した衝撃は、待っても来なかった。
 地鳴りのような音が通り過ぎるのを聞いて、きつねは目を開け音の方向を見た。
 くまの後ろ姿が、どんどんと、人里の方に向かっていく。
「おうい、どこに」
 きつねが叫んでも、くまが振り返ることはなかった雪煙にまみれ、茶色のシルエットが白く染まっていく。
「なあ……僕は……」
 きつねの声は遠くなる。雪の上に小さく残る姿はぽつねんとしていた。

 ……ともだちだろう。
 ……ともだちさ。

 くまは二度と、きつねの前に姿を現さなかった。

#小説 #文学

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