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あんみつ

“あんみつ”の食べ方談義をしたい。

【荒牧式あんみつ食べ術】
〈必要物品〉
1.市販のあんみつ
2.ざる
3.水道水
4.深めの器
5.スプーン

〈手順〉
1.市販のあんみつを開封し、ざるを用いて水を切る。
2.水道水であんみつの具材を洗う。
3.器に盛り付ける。
4.“あん”と“みつ”は使用しないので他の人に渡す。
5.スプーンを使用し食す。

お分かりいただけただろうか。
私は“あんみつ”のアイデンティティを完全に無視した食べ方をしている。
“あん”と“みつ”を使わないということはもはやあれは何という食べ物なのだろう。

幼少期、祖父母の家に行くとよくあんみつを出してくれた。
キラキラとした寒天、数種類の果物はまるで宝石のようだった。
しかしその上に真っ黒の“あん”が乗せられ、さらに真っ黒の“みつ”がかけられキラキラとした宝石は一気に暗黒色と化した。
絶望した。
発狂した。
そして甘過ぎる。
これが私とあんみつの出会いだ。

2回目のあんみつは
“あん”と“みつ”を乗せないスタイル。
キラキラの寒天と色鮮やかな果物がよく見える。
意気揚々と口に運ぶ。
しかし甘い。
ここで私は知った。
祖父母の家でストックしているあんみつ缶はシロップ漬けになっていることを。

そこで3回目。
祖母と一緒にあんみつを準備してみることにした。
どうしたら甘くなくなるか考えた結果、洗うという最も簡単な正解に辿り着いた。
ここでようやく私好みの“あんみつ”が完成した。

しかし家族に言われた。
「それは果たしてあんみつと呼べるのだろうか」
と。
5歳の私も流石に気がついた。
“あん”と“みつ”を乗せるからこのお菓子は“あんみつ”という名前だということに。
つまり“あん”と“みつ”を排除するということはこのお菓子が成立しなくなるということに。

私はただ寒天が食べたいだけだった。
あとあのほぼ無味の硬い豆(赤えんどう豆)。

母「豆かんでいいじゃん」

豆かんと出会い、ついにお菓子のアイデンティティを破壊せずに済むようになった。

ここまで言うと
「荒牧お前あんこ嫌いか」と思われるだろう。
あんこは好きだ。
要は混ぜるな危険ってやつ。
最中もあんこと最中のサクサク部分は別で食べたい。
今はなき紀の国屋(現在は匠紀の国屋として復活)の相国最中はあんことサクサク部分が分かれた状態で売っていて、いつも別々に食べていた。
(相国最中はセパレートではなかったらしい。
私の記憶違いで別の和菓子屋さんの商品の模様。)

兎にも角にも食に関して妙なこだわりが多くて気持ち悪がられるし、自分でも厄介だと思っている。
…勿論人前では耐えるけれど。

あんみつに話を戻すと、
外食で見かけるあんみつときたら
“あん”と“みつ”のみならずホイップクリームやらアイスクリームやらが乗っていることも多くて
変な声が出そうになるのだ。

好みって本当に人それぞれ。

いろんな人がいて面白いと
妙な食べ方ばかりする私が言うと、どうにもおかしいな。

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