自認する、痛くて痛くて触りたくないもの
「自分のやりたくないことはやるな」
かたや、
「嫌なことと向き合い、乗り越えることで人は成長する」
「自分軸で、楽しいことやワクワクすることをしよう」
かたや
「人や社会に貢献することで、自己肯定感が上がる」
「人生は短い、限りある時間を大切に使おう」
かたや
「スタートするのに、遅過ぎる年齢などない」
生き方が分からない私たちは、
先人の知恵を借りて、より良い人生とは何なのかを模索する。
そして得た知識を実践する、でもなかなかうまくいかない。
いろんな人がいて、いろんな考え方を知ると、ダブルスタンダード、とまではいかないけど、時々あれ?この人とこの人の言ってることは真逆だな、どちらを採用しよう…
と、戸惑ったりもする。
で、たくさん試してみて、
失敗して、
ちょいちょい傷を作りながらも、また起き上がり、
走り続ける。
これは多分、だけど。
ある領域に達した人は、自分の一番の弱点に気づいている。
どんなに立派な人でも、しょせんヒトだから、
個性があり特徴がある。
それが何かの物差しで長所とか短所とか言われたりするんだけど。
そして人はそれぞれ違うから、自分の最大の弱点は、自らの力で見つけるしかない。
自分の取説は、この広いネット上のどこにも存在しない。
達観した人ってたぶん、自分の一番痛いところをよく知ってる。
そしてそれを解決したくて、
真摯に向き合い、
傷どころじゃない、致命傷を負うほどの痛みでもって挑戦し、
乗り越えてきた人なんじゃないのかと。
痛いけれども、これくらいならまぁ耐えれるかな、ってところで
擦り傷つける程度の模索をしても、
確信的な部分は変わらない。
自分が一番触れたくない、
見たくも感じたくもない、とてもおぞましい部分にもし気づいたなら
ちょっと掘ってみるといいのかも。
きっと死ぬ気分だろう。
でもそこで、痛くても勇気を出して
膿をしぼり出して、
痛みに耐えながら除去して
時が経ち、
カサブタができるまでに回復したら
その傷跡は勲章となるだろう。
「昔こんな大怪我してねぇ。」
一生消えないカサブタを見て、懐かしくも振り返り、語り出すんだろう。
霧が晴れたような清々しい表情で。
痛いから試さない。
その、目を逸らしてるそれこそが、
人生の痛みを取り除くヒントなのかも知れない。
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