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『人に迷惑をかけられない生き方』は弱さ

『お前は人に迷惑をかけて
生きているのだから、
人から受ける多少の迷惑は
許してあげなさい』

インドの教えです。

『人に迷惑をかけないような
生き方をしなさい』

そんな無理難題を
平気で言ってくる人がいる。
僕が子どもに対して、
絶対に言わないと
決めている言葉です。

先日、学生時代の友人と
数年ぶりに会って、
いろいろと話をしました。

いろいろと話しているうちに、
学生時代にお互い、
いろんな迷惑をかけたり、
迷惑をかけられたりしながら、
信頼関係を構築してきてからこそ、
今があることに気づきました。

今もお互いのことを
信頼していられるのは、
そこに『多少の迷惑』が
あったからなんだと思います。

学生時代の友人とはいくつになっても
分かりあえることが多い要因の一つは、
お互い人間として未熟だった時間を過ごして、
傷つけたり、傷つけられたり、
迷惑をかけたり、
迷惑をかけられたりしながら、
共に成長する経験を
してきたからだと言われています。
お互いがまだ、未熟だった頃の事を
良く知っている。

多少の迷惑は場合によっては
人との距離を縮めたり、
人間関係を強固にする
きっかけになったりもする。


2021年のノーベル物理学賞を
受賞した日本出身で
アメリカ国籍の気象学者、
眞鍋淑郎氏のスピーチが
ものすごく印象的でした。

『アメリカ国籍を選んだ理由は?』

との質問に眞鍋氏は
こう答えています。

『日本人は調和を重んじる。
常に周りがどう考えるかを気にする』

『私がアメリカ国籍を選んだ理由は
調和の中で生きる能力がなかったから』


そう言って、会場を
笑わせていました。

でも、本人は笑わそうとして
言ったのではなくて、
本心で言ったんだと思います。

とはいえ、人間社会で
生きていくためには
調和は必要不可欠です。

迷惑ばかりをかけていては
生きていけない。


大事なのは、調和をとるべき場面と
調和をとる必要がない場面の
見極めなんだと思います。


当たり前の話ですが、
みんなとは仲良くなれない。
その必要もない。
みんなに理解してもらう
必要もないし、理解する必要もない。

みんなから好かれようとすると、
結局、誰からも好かれない。

無理難題のお願いを
人の迷惑も考えずに
笑顔で平気で自分の
都合でお願いしてくる人がいます。
でも、そんな人のお願いごとは
不思議と全然、嫌な気分にならない。

『お前は何を考えているんだ
いい加減にしろよ!』

毎回、そう言いながらも、
どこか嬉しかったりする。

そんな人を見ていると、
『最強だな』
『ものすごく生きやすいだろうな』
と思います。

人間関係がスムーズに
いっている人は、
むしろ『多少の迷惑』を
きっかけに人間関係を
構築しているとさえ思えてくる。

『多少の迷惑』で
人を喜ばせたりもする。


多少の迷惑の使い方が絶妙です。

人に多少の迷惑をかけることが
出来ないのは、むしろ、弱さだと思います。

良好な人間関係を
構築しづらいと思います。

だからこそ、僕がかける
多少の迷惑は、どうか
大目にみてくださいね。
僕も多少の迷惑では怒りません。

『人に迷惑をかけないような
生き方をしなさい』


僕が絶対に言わない理由が
分かって頂けたでしょうか(笑)

多少の迷惑を笑顔で平気で
相手をリスペクトして、
心から相手に感謝しながら
使いこなす人はやっぱり最強です。
ずけずけと相手の懐に
平気で土足で、時には
スパイクで侵入してきます。

そんな人は逆に人から
多少の迷惑をかけられる事も多い。

その迷惑に対応していくと、
さらにお互いの
人間関係が構築されていく。

そうやって、
絶対的な信頼関係が
積み上がっていくんだと思います。

それを知らないと
人に迷惑をかけるたびに
自分を責めたり、
落ち込んだりしてしまう。

そもそも、人に迷惑をかけずに
生きていくなんて、
とうてい不可能です。
そんな生き方、
楽しいはずがない。
本当の友だちも
なかなか出来ない。
どれだけ多少の迷惑を
かけられるかが、
友人関係の深さの
バロメーターの一つ
だったりしませんか?

『多少の迷惑』は
上手く使いこなした方が
はるかに利口なんだと思います。

ちなみに、僕は
『多少の迷惑』の
使い手の達人ですよ(笑)

『人に迷惑をかけられない』は
弱さなんだと思います。

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