"盛り上がる"のではなく"掘り下げる"コミュニケーションをめぐる雑記。
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"盛り上がる"のではなく"掘り下げる"コミュニケーションをめぐる雑記。

Hikaru Mizunami

先日こんなつぶやきを見かけた。

「盛り上がる」ことも、「掘り下げる」ことも、どちらもコミュニケーションをとっているという意味では同じだ。あなたと仲良くしたいから場を盛り上げるようとするし、あなたのことを深く知りたいから、掘り下げようとする。その根底にはどちらも「あなたとの関係を良くしたい」という原始的な思いがある。

私は「盛り上がる・盛り上げる」ほうのコミュニケーションが苦手だ。テンションがあがって、自分が制御できなくなる感覚をどうしても怖いと思ってしまう。だから人とちゃんとコミュニケーションを取ろうと思ったら「盛り上げる」のではなく「掘り下げる」ことをよくする。

「どうして?」
「なんで?」

そんな言葉を人よりも多く使う。我ながらめんどくさい会話の仕方をしていると思うけれど、世の中的に「掘り下げる」タイプの人は少数派らしく、案外面白がられたりする。

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「掘り下げるコミュニケーション」として、今でも「あれはよかったな」とふいに思い返すようなシーンがある。たとえば先月の話だ。高校時代の友だちと久々に会って、カラオケにいったのち、近くファミレスでご飯を食べた。私も含めて5人いて、もうそれぞれ社会人として、バイトをしながら音楽活動をしていたり、JRの職員をやっていたり、縫製業で正社員として働いていたり、勤めていた保険会社を辞めてフリーターをやっていたりする。

私以外の4人が盛り上がる・盛り上げるタイプのコミュニケーションが苦手かというと、たぶんそんなことはない。ただもう8年も付き合いがあると、今さら必要以上に会話を"燃やす"意味もあまりないように思えてくる。むしろ、そういうことをすると逆に関係性の寿命を縮めてしまうのではないか、というような気さえしてくるのだ。

「前の仕事、続けてんの?」から始まり、「あー、そういう人いるよね」や「なにそれ、どういうこと?」といったふうに、私たちの会話は掘り下げることと受容することを繰り返しながら進んでいく。そのうち縫製業に勤める彼女が「恥ずかしい話なんだけどさ」と前置きをした。彼女が向精神薬を服用していることはみんな知っていたので、あぁたぶんそういう話なんだろうなと思いつつ、それでも特に身構えることなく聞いていた。

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彼女の話は、朝起きてから、「なんとなく」手首を切ってしまって、それが「思いのほか」深く切れてしまい、かなり「ヤバかった」というものだった。すぐに病院に行って治療を受けたものの、会社には遅刻確定なうえに上司に対して遅刻の理由の正直に言うわけにもいかず「困った」と。

彼女がふだん通りに話すのでこちらも過剰な反応をせず、「大変じゃん」とか、わりといつも通り相槌を打っていた。ただ頭では「自傷行為は肯定できないけど、でもついやっちゃうもんはしょうがないし、彼女を責めてもしょうがないんだよな」とか、真面目なことを考えていた。


「いや、あんまりよく覚えてないんだよね、なんで切ったかとか」
「だめでしょ、それ笑」
「知ってる知ってる笑」


彼女を責めるような口調にならないように気をつけて話しながら、(不遜と言われるのを恐れず書くと)そんな自分に対して「コミュニケーションをちゃんととってるな、えらいぞ」と思うもう一人の自分がいた。ここで気まずいからとか、重い話だからとか、私の中で勝手に理由をつけて話を変えるのは簡単だろう。でもそうはせずに、慎重に言葉を選びながらも、相手のことを知るために話を掘り下げていく。彼女は傷つきたくないと思いつつ、それでも話したいから話している。だから私たちも、彼女を傷つけることを恐れながらしっかりと向き合う"べき"なのだと思っていた。


「病院の先生になんて言われたの?」


途中、そんなことを訊いた。いま自分が目の前の自傷者に対して配慮しながらコミュニケーションを取っているという自覚があったので、医者というプロの人がどういう対応をするのか、純粋に気になっていた。


「頭おかしいんじゃない?って言われた」


思わず爆笑してしまった。「なんの配慮もねぇな!」と言った。隣のミュージシャンの彼もひどいやつなのでげらげら笑っていた。向かいに座るフリーターの彼女はいい子なので顔を引き攣らせて苦笑していた(JR職員の彼は明け方から仕事があるらしく、その頃には帰宅していた)。

そんな私たちの反応を見ながら、縫製業の彼女は「笑ってくれてよかったよ」と控えめにくすくすと笑っていた。

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それから終電近くなるまで4人でずっと話していた。「一人称や親の呼び方がいつ、どのように変わったか」とか、「なぜいつもギリギリの時間にならないと家を出られないのか」とか、世間的にはどうでもいいけれどその人にとっては大事な話をたくさんした。

掘り下げるようなコミュニケーションを頻繁にしていると、「人間、やっぱり違うんだな」とつくづく思う。私は手首を切ったことがないし、手首を切った人に向けて「頭おかしいんじゃない?」なんて率直すぎる言葉を吐くこともない。それが正しいとか正しくないとかは難しい話になるので置いておくとして、とりあえず「違うのだな」ということだけは明確にわかる。ここまで圧倒的に違ってしまうと、同じにしようなんて気はさらさら起きない。むしろ違っているのは私にとっては面白いことなので、「同じにするなんてとんでもない」とすら思う。

「盛り上がるコミュニケーション」と「掘り下げるコミュニケーション」、状況に応じて両方できるのがもちろん一番いいのだけど、「掘り下げる」ほうが好きだなぁと個人的には思う。終わり。

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Hikaru Mizunami