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第155話.「物事」の時代

1990年

「これが20年前の四畳半のアパート」、中々上手く描けている。私の学生時代の下宿部屋そのもので、なんとなく暗い。「こちらが現在のワンルームマンション」、なるほど20年の差は大きい。「開放的でフレンドリー、こういう生活をしている若者に息苦しい車は駄目です」とさらにもう一枚。若さではちきれんばかりの肉感的な娘さんが、サンバを踊っている絵である。
「この2枚が今回の成果で、5代目「ホンダシビック」の基本コンセプトです」「このくらいやらないと世の中変わらないし、このくらいやってもホンダの真面目さは変わりません」「これからは、『物事』の時代です」とまで言われては、ぐうの音も出なかった。
「これで行ってみるか」と手を打つ。ついでに、「じゃあ、出てきていない連中にも、連休中に考えてもらおう」と言ったら、「誰かに似てきましたね」と冷やかされた。ゴールデンウィークに入ったばかり。
社長がアメリカ出張から帰ったので、「ちょっと照れくさいのですが」と検討結果を報告。「大丈夫かよ」と笑いながら言ったきりで、「おい、ところでアメリカであのアコード、あれじゃ売れるかどうか心配だ。ちょっと行って見てきてよ」と。「あのう、シビックの方は」と聞くと、「今日がないと、明日はない」といつもの調子。
早速、ディーラー試乗会の会場であるテネシーへ飛ぶ。アメリカホンダの責任者と二人、「あんたも大変だね」と慰められながら、「でも、売るのはそっちだから、もっと、ですよ」と。しばらく走っているうち、「ハッ」と思い当たった。
「このアコード、素晴らしい見晴らしだ」「そうだ、そうだ」と二人で。そう言えば、そのつもりでつくっていたのに、日本のジャーナリストに「らしくない」だの「保守的」だの言われて、ちょっといじけていたようだ。結局、売り出してからあとお客さんにもその良さが伝わり、バリュー・フォー・ザ・マネーの高い車との評判を得て、ついに全米のベストセラーカーとなった。
それからあと、5代目シビックの経過はと言うと、周りがはらはらして見守るなか企画作業はどんどん進み、年明け早々、若い連中はほんとうにブラジルのリオにカーニバルを見に飛んで行った。発売されたのは、バブル経済が弾けて世の中真っ暗な時、サンバの明るさが受けた。中身もしっかりしているとの評価で、この年の日本カー・オブ・ザ・イヤー大賞に輝く。シビックが生まれて、はや20年である。

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