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第116話.オハイオに飛ぶ

1984年

HAM(ホンダオハイオ工場)では、第一弾の2代目アコードに続き、3代目「ホンダシビック」の量産立ち上がり作業が最終段階に入っていた。鈴鹿製作所の所長を務めたIさんが、3代目シビックを立ち上げに成功した後、HAMの社長として赴任してきたばかりであった。
鈴鹿では、T社のカローラに負けない「出来」を目標に比較検証の上で、T社に勝るとも劣らない徹底した精度管理で、立ち上がり品質を格段に向上させたという自信もあって、このHAMでも陣頭指揮にあたっている。が、ここへきて、これはちょっと、日本でやるのとは事情が違うぞと、少々焦りが出はじめていた。
そこへ、オハイオ州知事との会見のため訪米した本田技研社長が、突然HAMに、シビック立ち上がりの陣中見舞いに来られるという話がもち上がった。この時期にこの「出来」では、社長が心配するに違いないと、鈴鹿での立ち上がりフォローに関わり事情に詳しい私を、急遽、HAMに呼ぼうということになり、研究所に連絡が入った。
何はさておき、社長より先にオハイオ入りし、実態を知った上で、どうするかを見定めようとの思いで急いでオハイオに飛んだ。 着いたのは金曜日の午後、飛行場から真っ直ぐ工場へ。すでに、ラインで組み上がったばかりの確認用の車が一台、工場の片隅に置かれていた。まわりには、立ち上がりフォローで来ている研究所の面々、鈴鹿の工場の人たち、それにHAMのアメリカ人と駐在員、みんな少々疲れ顔である。一時間ほど、じっくり内外観の出来映えを確認した。
状況を掻い摘んで言うとことになる。ボディ外板の形状、特に、板モノの面の張りとヘミング(ドアのふちのカシメ)の「出来」はまだまだ。その上にボディの塗装が上面と側面で膜厚が不均一、しかも艶がない。灯火器類など大物艤装部品とボディの合わせは、まだこれからというレベル。  
鈴鹿でもそうであったように、サイドパネル(ボディ側面の鉄板部)とサイド見切りの大型テールゲート(後部跳ね上げ扉)の合わせたてつけは、最後までてこずりそうな厭な予感が。インパネの本体とリッド(物入れの蓋)やサンバイザー(日よけ板)のだんちり(段差と隙間)、それに色・艶・絞(しぼ)の合わせなどを見ても、メーカーから届いた部品を、そのまま組んだだけとしか見えない。何故こうまで、この車の立ち上がりにてこずるのだろうか。今後のためにも、きちんと分析しておく必要がある。

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