第50話.ジャンケンポン
1971年
各機能ブロックのPL(プロジェクトリーダー)が集められ、「コストが、目標値におよそおさまっていない」との説明を受けた。内外装のデザインがほぼ纏まり、それに基きコスト計算を進めていた時期である。
その日から毎週土日、駐車場に建てられたバラックで「グラム作戦」が実施された。この頃ホンダでは、「コストは重量に比例する」というのが基本の考えであった。「ゼロ式戦闘機」も、こんな風にやっていたと聞く。
バラック内にはシビックの部品が全て並べられ、研究所常務が閻魔様みたいにデンと座り、それぞれの部品に目標削減重量を割り当て、秤の上にハーネス(電線)など部品を乗せては「何グラム減らせ」と指示をする。それで、ハーネスが何ミリ短くなったとか、エンブレムが何グラム軽くなったとなると、「褒めてやる」と言って駅前の鮨屋に連れて行ってもらった。
何日もこんなことを繰り返し最後に、個々にはやり切ったとする全部品を積み上げてみると、競合車と目している「パブリカ」と同じ値段ではとても売れないことが分かった。そこでやむなくもう一案、「コストダウン案」と称するモデルをつくってみようという話になる。
重量を下げると同時に、部品点数や工数を減らしたり安い材料に置き換えたりして、目に見える部品はほとんど一から設計をやり直す。そして、悪戦苦闘の末にモデルがもう一つでき上がったのだが、チーム内では即座にこれで行こうという話にはならず、どちらにするかは評価会で決めてもらうことになった。
評価会の席でも、「コストダウン案は、いかにも見窄らしい」との意見と、「オリジナル案が良いと言うが、コストの方はどうするんだ」との意見が対立、平行線のまま何時間も堂々めぐりで埒(らち)が開かない。多数決で、ということなったが、これも同数ぐらいで決め手にならなかった。
議論が出尽くしてとうとう、「君はどうなんだ」と私の方にお鉢が回ってきた。「両方とも自分たちがつくったものですから、どちらも可愛いんですが、個人的にはオリジナル案の方が好きです。でも、コストのことを言われると、どうも…」と答える。
続けて、とにかく早く決めてもらわなければと半ば開き直って、「…と言うわけで、あとは評価委員のみなさんのジャンケンで決めて下さい」とお願いした。みんなが思わず吹き出して場が和んだ。それがきっかけとなって、「コストはともかく、オリジナル案で行こう」との判断が下る。