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第27話.十人十色

1968年

軽乗用車「ホンダZ」の外形線図作成を手伝いながら、私自身も途方にくれていた。樹脂製金型マスターモデル製作担当者から「どうしましょうか」と聞かれたが、私とて、作図でこの微妙な面をつくる自信はない。考えた末に、「急がば回れ」で、クレーモデルの測定からやり直すことを提案した。

「えーっ」とみんな驚いた顔をしたが、結局、気の遠くなるような5ミリピッチ、10ミリピッチの測定作業(手動)を、一から始めることになる。細かいピッチの測定には時間がかかったものの、結果的には、少ない測定数値をもとに、作図中心で描いた以前の製図作業よりはるかに早くでき上がり、思ったより早く、クレーモデル通りのマスターモデルが完成した。

こうした失敗を機に、精度の高い測定数値を基にした作図の重要性が見直され、測定器の自動読み取り装置の開発に拍車がかかった。ホンダZへの私の関わりは、このようにほんの僅かな時間であったが、これは造形室のみならず、ホンダとして思いもよらない成果であった。
私にとっても、この車のデザインが私に及ぼした影響は大きい。というのも、そもそもこのデザインを担当したM君の絵だが、後に現れる世界的に有名なデザイナー「ルイジ・コラーニ」が描くスケッチように、まるで捉えどころのない有機的な形なのである。
彼のホンダZの絵は、軽自動車だというのに、まるで大型のアメリカ車とも思える大きさ感で描かれていた。モデル製作中から、「どういうモデルになるのだろう」と興味津々で眺めていたのだが、でき上がってくるにつれ、なんとも不思議な魅力をもつ動きのある塊感を見せていた。
とても、私にはつくり出せないデザインだなと思ったものだ。むしろ悔しい気持ちの方が強かったと言っていい。「十人十色」と言うのであろうか。そんなつもりで研究所の造形室を眺めてみると、そこにはいろんな考えや感覚の持ち主がいて、お互いに刺激し合いダイナミックな創造活動をしているという実感があった。

入社試験の時、自分は優れているから入ったのだと思っていたが、いろいろな人材をとの意思をもって採用されたのだろうか。この車が世に出て、若者たちの心を惹きつけたのは言うまでもない。
リヤゲート(後部はねあげ扉)の周りが黒い樹脂で出来ていることから、「水中眼鏡みたい」と言われていたが、それも特徴になって六本木辺りで走っているのを見ると、洒落た六本木の街の風景に、ホンダZはよく似合っていた。

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