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第36話.収斂

1969年

「若者組」と「年寄り組」の両案のコンセプトができ上がる。それらをもち寄った結果、申し合わせたように2つの案は近似していた。両案に共通する全長の短いディメンション(縦×横×高さ)を見た時、外観デザインを担当するものとして、これは大変なことになったと覚悟する。
また面白いことに両案とも、重量が上司の思惑より100kgほど重いものになっていた。この数字が、最後までチームを苦しめることになるのだが、この頃はまだ、そんなことは予想だにできなかった。
その後、両案の良いところを生かし一つにする収斂案が練り上げられた。恥ずかしいことに私は、このとき初めて、「収斂」という作業の難しさを経験する。
収斂案がまとまったところで、開発チームのメンバーが揃って試乗のため箱根へ出かけることになった。イタリアの「アウトビアンキ」や「フィアット128」、それに日本の「チェリー」など参考となる車が揃えられた。
箱根の山中は絶好のワインディング(曲がりくねった)コースであり、車を思いっきり乗り回すには最適の環境。そうした中で、誰もが異口同音、「これは面白い!」と言ったのはアウトビアンキであった。
私がその車を運転しているとき、隣に座っていたLPL(開発責任者)から、「お前さんはな、運転しているこの車の走り感を、感じたまま想像して、外側の形をつくればいいんだよ」と。凄いヒントだった。
もう一つ、デザインを進めるための拠り所となったのは、軽乗用車N360の後継の「ホンダライフ」である。もっともこの頃のホンダには、ライフ以外に次を考えるための技術的財産がなく、何をするにも「ライフに対してどうか」という風に考えた。
例えば「軽自動車はどうしても嫌だね」と言われて、「なぜ?」と問い返すと、必ずと言っていいほど、「不安で、不快で、不安全だから」との答えが返ってくる。それならばその「不安、不快、不安全」なものを、軽自動車から取り除いて見せよう、との考えに辿りつく。
H1300やライフは、これでもかという程の上方指向で、本来のバランスを崩してしまった経緯がある。この反省を踏まえ、「マイナスをゼロにするには」とか、「過ぎても足りなくてもいけない」との考えに徹し切ることに。  
こうした考え方は、シビックの基本コンセプトである「ユーティリティ・ミニマム」という一口言葉に繋がり、この方針のもとチームは、「小さな車づくり」の検討に邁進したのである。

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