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第143話. 身体が動けば心が動く

1988年

「岡本太郎は、芸術は爆発だと言ってるが、だったらデザインは感動だな」と本田さんが。そしてすぐ厳しい顔で、「やってる者が感動できないモノを、人が感動できると思うか」と。「ホンダレジェンド」の最初のフルモデルチェンジ作業が進んでいた。
初代レジェンドの開発時は、外国との共同作業や未知領域への挑戦で、何をやっても刺激的だった。ところが今回は何となく醒めていて、なんだか他人事のような仕事ぶりになっている。データをもとに、このクラスのお客さんの嗜好はこれこれで、したがってこうすべきだなどと、頭で解かった気になっていたようだ。
以来、「感動」という言葉が心に残った。モノをつくる時、「お客さんの気持ちになれ」とよく言われる。「お客さんと一心同体になれ」ということだ。観阿弥が「一座建立」とする演者と観客の息があった様や、舞台で見せた初代水谷八重子の「成り切る」演技の中に感動を見る。
「感動」とは「心」が動くこと、自分から相手に「心」を動かすことである。「動物」はその名の通り、動きまわる生き物である。とりわけ人間は、自らの目的と意志をもって動きまわり、未知の人や物や物事に出会うことができる。
今はテレビや新聞などで、多くの情報がいながらにして手に入り、あたかも実際に体験したような気分になれるが、これらは疑似的な体験にすぎない。見たり聞いたりした体験は、テレビや新聞で知ったことの何倍もの感動を呼び起こすはずだ。当たり前のことだが、「身体」が動けば必ず「心」も動く。感動したければ身体を動かせばよい。
「百聞は一見にしかず」のごとく、庶民の旅行が難しかった江戸時代でさえ、人々は競って「お伊勢参り」に出かけた。「旅は道連れ、世は情け」のように、旅が人々の心を豊かにし、未知の土地での見聞が新たな感動を生み、知らず知らずのうちに江戸の文化を育んだ。
「心」は「知、情、意」で表される。「知」とは何かに出会い、「情」とはそれによって心を動かし、「意」とは心に決めることであるという。この知、情、意の心の動きこそが「感動」であり、この「動き」を、たくさん経験した人ほど心が豊かだと言われている。
名古屋国際デザイン会議で、「デザインで一番大切なことを一言で」と聞かれ、「?!」と答えた。そして、「何事にもつねに不思議がる(?)心を持って、それがわかった(!)ときは素直に感動する、これが一番大切なことです」と。

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