第43話.台形スタイルの安定感
1970年
苦労の末、何とか纏まりを見せてきた基本骨格をもとに、初代「ホンダシビック」のデザインは急ピッチで進められた。だんだんと形が見えてきたが、中々みんなには理解してもらえない。チームの苛立ちが、私にも痛いほど感じられた。
私自身、かつての「ホンダN360」の転倒問題が頭の片隅にあり、「台形スタイル」で、見るからに地面に吸い付くような「安定感」のある形ができればいいなと、またそうなればこの車のデザインの特徴が見出せるのではと思っていたのだが…
デザインを進めるに当たっての制約が無い訳ではなかったが、これまでのように、「ああしろ、こうしろ」と、周りからうるさく言われることは少なくなり、逆に「こうしたら格好が良くなる」という助言もなくなっていた。
その代わりに、「団子みたいで格好悪い」などと、陰での「ぶつぶつ」が聞こえてきた。私は悪条件を逆手にとって、自分なりの思い切ったデザインが出来つつあると感じていたのだが、余程この形が気に入られないと見える。
そこでやむをえず、「この車には、いま流行りの流麗さはありません」「この車のイメージは、アラン・ドロンではなくて、チャールス・ブロンソンなんですよ」「白魚の手ではなくて、げんこつの手です」「美しい、じゃなくて可愛いなんですよ」「鉄板が厚そうに見えて、丈夫そうでしょ」などと、あの手この手で売り込んだ。それが功を奏したのかようやく、「そう言われてみれば」と言う声が聞こえるようになってきた。
こうして「台形スタイルの安定感」が、シビックの「スタイリングコンセプト」として周りの認めるところとなる。また本田さんからも、「台形はいいねぇ。うしろから見て格好いいよ」と喜んでもらった。
ご自身は、トランクのついた立派なセダンタイプの車に乗っておられたが、「これからつくる車は、みんな、こうするんだな」と言っていただいた。ホンダ4輪の「デザイントレンド」が認めてもらえたのだ。
考え方がしっかりしていれば人の心を打つ形が生まれる、こうしたことをこのシビックの開発を通じて学んだ。が、考え方が先なのか形が先なのか、まだよく分からなかった。
「機能美」という言葉がある。エンジンや車体の設計の人たちに言わせると、機能を追及し優れた性能を持ったものは、オートバイレーサーやフォーミュラマシンのように自ずと美しくなると。ではデザイナーの役割って何だろう、そんなことを真剣に考えるようになっていた。