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第65話.絵にしてよ

1974年

開発記号「653」の開発中止後、試行錯誤、紆余曲折の半年が過ぎた。そんなある日、残業に入って時間も8時を過ぎていた頃、デザイン室に突然、研究所社長が現れた。「明日の経営会議で、つぎの開発機種の絵を見せたい。シビックに乗っている人が次に乗る車を絵にしてよ」と。
「今からですか」と聞くと、それには答えてもらえず、「絵があった方が分かり易いからね」と言われ覚悟を決めた。時間もないことから、モノトーンの鉛筆画で、斜め前と斜め後ろからのパースの絵ということで了承を得た。
「653」の苦い経験がある。シビックの成功の要因も参考にしたい。シビックのユーザーが誇りを持って乗れる車って、どのようにすればよいかと思い巡らすのだが、絵を描くための時間が限られていた。まず考えたのは、「どんなお客さんに、何を喜んでもらえるようにするか」ということ。「653」で評価の高かったフロントエンドが低く精悍でスポーティなところは、なんとか次の商品に繋げたいと思っていた。
それに、不評だった「室内空間の狭さと視界の悪さ」、「トランクの狭さと使いづらさ」は、文句の出ない方法を考えなければならない。ユーザーターゲットを30代後半の若い夫婦に、もちろん子供もいる。が、子育て中の所帯じみた感じにはしたくない。そこで思い切って、タイプを、シビックと同じスポーティでパーソナル感のある3ドアハッチバックスタイルと定める。これはちょっと賭けだと思った。単に「シビックのお兄さん」と思われては失敗である。「成功した若いおじさん」、という感じにしたかった。
ヘッドライトは四つ目、テールランプは横長と決めた。トレンドでもあり高級感も出せる。シルエットはウエッジの効いた前進感のあるスポーティさを、前後バンパーは思い切った安全感を、それに欧州の高級車の持つ高質感を、などと考えながら絵を進めた。
研究所社長が、ずっとそばで私の描く絵を見ながら座っている。緊張しながらの作業であった。そして10時過ぎには、イメージが分かるくらいには出来上がっていた。「さあ仕上げだ」と思っていたら、「これでいいよ」と言って持って行かれたてしまった。
次の日、どういう結果になったかと心配しているところへ社長が見え、「あれで行こうってさ」とだけ言って帰られた。数日して、開発メンバーが集められる。集められたのは、シビックで気のあった連中に加え、各ブロックの生え抜きメンバーであった。

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