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第210話.インドの教え

1997年

本田技研社長がインドの新工場の鍬入れ式から帰られ、「ちょっと、インドへ行ってきてもらえないか」と私のところに。タイの新工場で「シティ」と名付けられたアジア地域専用車が立ち上がり、その後立て続けに、フィリッピン、台湾、インドネシアと生産が開始。いよいよ次はインドという矢先のこと。
「何かありましたか」と思わず。「いやね、今回インドに行ってみて、見たり聞いたりの中でずっと考えてきたんだが、インドの新工場は、本当にシティでよいのだろうか。あの埃だらけの景色の中では存在感が薄い。私はシビックの方がよいと思っている。あんたの目で確かめてきてもらえないか」とのこと。
バンコクでの乗り継ぎ時間を利用し、飛行場の中にある日本レストランに、タイに駐在し、アジア全般を見ている研究所スタッフに集ってもらい情報を得る。みんなはすでに、私のインド行きがどういう目的かを知っていて、会うなり、「シティ」以外、インドでの生産は考えられない」との大合唱。
私はむしろ、インド特有の経済的な事情や、さまざまな規制の動向などを知りたいと思っていたのだが、さもありなん。一年以上かけて検討してきた結果であり、またすでに政府や合弁の相手との約束事もある。えらい役回りになったものだと観念した。
デリーの飛行場には、ホンダインディアのF社長が。3月と言うのに、さすがにむっとする暑さ、すべてのものが埃をかぶってぼやけて見える。ホテルまでの道中F社長は私に、先だって日本へ帰る社長を飛行場までお送りした際、社長が何をどのように心配されていたかについて、かい摘んで話してくれた。周りの景色を眺めていると、何だか分かるような気がする。
次の日、さっそく建設中の工場へ。ニューデリーより西に60キロ、車で2時間余り、道は舗装されているものの極めて悪い。牛と車と人間が、路上で平等に暮らしているという感じ。牛糞を干して燃料をつくっている風景、荷台の倍以上の大きさの荷物を運んでいるおんぼろトラック、裸足で歩いている人も多い。
道中、まもなく到着と言うところで、どでかい工場に出くわした。聞けば韓国のD社のインド工場だと言う。「何をつくっているの?」「何台つくっているの?」と、思わず聞いてしまうほどの巨大さ。計画では年産6万台あまり、価格は60万ルピーをちょっと越えるくらいで、シティの最大のライバルであるとの答。いきなりのアッパーカットである。


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