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第87話 M・Mコンセプト

1979年

「トールボーイ」の愛称で始ったこの車の、「機械部分を極小化することによって人間が使う部分を極大化する」という考え方は、まもなく、「M・M(マンマキシマム・メカミニマム)」と呼ばれるようになった。これはエンジン担当所付Kさんの考えによるもの。この後、2代目プレリュード、3代目シビックへと繋がり、ホンダの商品づくりの基本コンセプトとなる。
ほぼデザインがまとまった頃、D社の「ミラ」が発表された。この車は軽自動車だとは言うものの、コンセプトもデザインも、チームが進めている車に近似していた。すぐに大騒ぎとなり急遽対策を開始。
2代目シビックで果たせなかった大型樹脂(ポリプロピレン)バンパーは、この時の大騒動で実現(世界初)。併せて、特徴的な前後ホイールアーチのデザインも生まれた。火事場の馬鹿力とでも言おうか、「ミラ様さま」である。
その他にも「瓢箪から駒」はあった。日本では認可されていなかったドア・ミラーが、まもなく許可されるとして進めていたが、もののみごと予想がはずれ、あわててフェンダーミラーに。その際、極端にスラント(前下がり)したボンネットゆえにミラーを支える足が異様に長くなってしまい、「東京タワー」と陰口を叩かれたが、その形が妙に愛嬌があって、特徴の1つになった。
発売時には、ニューエンジンはCOMBAX(コンバックス)と称し、「元気な印」にと「赤いヘッドカバー」が付けられた。この車のスタイルは、研究所内では、好きな人も多かったが嫌いと言う人もかなりいた。ところが街に出ると、老若男女、みんな大好きデザインになったのである。販促Aさんの傑作「マッドネス」の「むかでダンス」の効果も大きい。
発売して間もなく、毎日工業デザイン賞をいただき、みんなで喜びを分かちあう。それも大変嬉しいことだったが、「ホンダは変わった」「元気になった」と言われたことが、何よりも嬉しかった。同じ頃、「2輪と一緒に、この車に乗せる専用バイクを」との本田技研社長のアイデアで、「ミニコンポ」が生れた。何から何まで個性的と言われた。
「パーソナリティー」とは生まれ持ったもの,「キャラクター」は自分でつくるものとよく言われる。ホンダは時代時代に、自力で「キャラクター」をつくってきたのだと思う。アッという間に、都内の大きな交差点では、必ずと言っていいくらい「トールボーイ」に出合うようになる。その名も「CITY」。


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