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第136話.いつまで続く

1987年

新年に行われる役員懇親会の席で、本田技研会長から声をかけられた。「僕はこのところ、心配で眠れないんだよ」と。この2~3年、やることなすこと当たっている。2代目プレリュードの成功以来、シティ、シビック、アコード、インテグラと立て続けに、だ。
会長は以前、研究所の所長をやっておられ、私も若い頃は随分と目をかけてもらった。そういう気安さも手伝って、「これだけ好調なのに、何が心配でしょうか」とお聞きすると、「その好調が心配なんだ」と。
「これ、いつまで続く?」とさらに迫られた。当面の機種投入計画をお話しして、「…で、大丈夫です」とお答えすると、「そうか」とは言われたが、納得された様子ではなかった。
そして、「お前さん、後継者を育てたかい?」と言われたあと別の席へ。「先のことを、よく考えておけよ」と言われたのだと思う。「いつまで続く?」は、しばらくは耳に残っていたが、会社全体が行け行けドンドンの中、それも次第に薄れていった。
間もなくして、日米が組んで開発を進めてきた2代目「ホンダティ」が、突然の円高で日本専用を余儀なくされ、台数半減によるコスト高が致命傷で、期待に反して不発に終わる。これが躓きの兆しだった。
すぐあとに、シビックやプレリュードという大物モデルチェンジが控えているのをよいことに、目先しか見ないでいた。シティの不振も円高のせいにして、気に止めようとはしなかった。
円高やコストアップによる輸出の不振は、各社の国内市場への押し込みに繋がり、熾烈なパイの奪い合いとなった。そうなるとものを言うのが、デザイン、コンセプト、性能、コストのいわゆる総合商品力である。
しかし、シビックもプレリュードも、さらに続くアコードも、前モデルの好調さが災いしてか、知らず知らずのうちにキープコンセプトになっていた。また、コスト体質も抜本的な対応がなされないままという状況。会長の心配が現実のものとなった。
一度うまく行くと周囲の期待が高まるし、失敗できないと思ってしまう。その結果、慢心したり保守的になったりで、いつしか下降線を辿る。これは、言わば人の「業」であって、だからこそ人間は面白いのだが、会社の場合だとそうは言っていられない。
「転ばぬ先の杖」とは良く言ったもの、が、なかなか出来るものではない。この後まもなく、戦局を打開するための特別チームが設置された。私はこともあろうに、そのど真ん中に身を置くことになる。

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