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第223話.“創50”に想う

1998年

1997年秋、例年にない雨続きの空が奇跡的に晴れ上がった。30万人の応募者のうち幸運にも選ばれた5万人の人々が、ホンダの「創50」の記念イベント会場「ツインリンクもてぎ」のメインスタンドを埋め尽くした。
我々の視線の先には、ホンダにF1初勝利をもたらした「RA272」の勇姿がある。補助エンジン付き自転車がトコトコと、その後を「スーパーカブ」が追い、そして「S500」や「S800」が続く。
次々と過去の栄光を彩った車が、さらに続いて、21世紀のスポーツカーとして開発中の白い「S2000」が疾走する。「世界一なら、日本一だろう」という本田さんの名台詞に魅せられ、無我夢中で仕事に打ち込んでいた青春時代が甦ってきた。
この年、創立50周年を迎えたホンダは、世界に展開する日本有数の大企業に成長し、高度成長期に「ホンダ神話」と言われるほどに。この「神話」はいつまで続くのだろうと、ふと脳裏をよぎった。
ホンダは日本には珍しく、製品を通して創業者の顔が見える企業だと、私は思っている。本田さんが社長の座を退かれたのは70 年代のはじめ。今では本田さんの顔を知らないお客さんも多い。
が、ホンダには沢山の熱烈なファンがいる。ホンダユーザー全体の中で、そう言ったファンが占める割合は日本国内の他のメーカーと比較するとおそらく最も高いはず。帰するところこの人たちは、ホンダのオートバイや自動車に「本田宗一郎」を感じとっているに違いない。
その本田さんが、ホンダという会社を興したのは終戦の混乱が少し落ち着いた1948(昭和23)年、なんと42 歳の時である。世間の常識では大変に遅い出発であった。がその時、これでようやく「夢」が実現できる、自分のつくりたいものがつくれるという喜びで一杯だったろう。
本田さんは自らの「夢」を実現し、1991年夏、85年間の生涯を閉じられた。フィナーレを飾って、2輪のレッドマン、F1のギンサーという往年の名レーサーが、見事に復元された当時そのままのマシンを操り、夕闇迫るメインスタンド前のストレートを駆け抜けて行った。
見ている私の目は、感激の涙で霞んだ。きっと、ハンドルを握っている彼らも、同様であるに違いない。みんな泣いていた。これが「ホンダらしさ」なのだろうなと思った。私の、入社当時の「ドキドキ」と「ワクワク」は、33年経ったこの日もまだ、間違いなく続いていた。

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