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那覇新都心に残る「シュガーローフ」の痕跡


沖縄戦のことを調べていくと必ず遭遇するのが、シュガーローフの戦いです。首里をめぐる激戦を日米が繰り広げた場所で、丘の形から米軍がシュガーローフと呼んだのが起源のようです。日本軍は安里五二高地と呼び、もともと沖縄では、慶良間諸島が眺望できる慶良間チージと呼んでいた場所だそうです。

(この項目は、担当教員の一戸がまとめました)

上の戦後65年の記事で、遺骨収集について話している具志堅隆松さんの活動が紹介されていて、シュガーローフとその周辺には以前多くの遺骨が眠っているのかなと想像しましたが、しかしいまはこのあたりでの遺骨収集が行われているのかどうか。

シュガーローフのあった場所は、那覇新都心と呼ばれる都市開発エリアになっているようです。シュガーローフと呼ばれていた場所は、安里配水池公園となっていて、ここに碑文が設置されています。一般の人が見つけられる痕跡は、この小さな公園と碑文だけのようです。時代の流れを感じるでしょうが、戦争の記憶を感じ取るのは、もはや難しい状況にあるのかもしれません。


具志堅さんは、依然として多くの遺骨が残っている南部の土が、辺野古の埋め立てに用いられることについて、抗議運動を続けていて、全国の議会でも賛同する決議が多く出されています。


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