見出し画像

知らなかった「戦争マラリア」

沖縄戦について、今回始めて詳しく学び議論しました。ただ、「地上戦」としての沖縄戦以外にも、さまざまな出来事が起こり、悲劇がありました。ここでは八重山地方の戦争マラリアについてまとめてみています(担当:田村)


日本軍のマラリア有病地帯への強制避難命令によって多くの人が患ったマラリアを、戦前のマラリアとは区別して「戦争マラリア」と呼んでいます。

人のマラリアは5種類あり、沖縄県の八重山地方は人間の命を最も脅かす悪性マラリアと呼ばれる熱帯熱マラリアが蔓延していました。1530年代に難破したオランダ船によってマラリア原虫が西表島に持ち込まれたという説があります。

日本軍は八重山がマラリアの有病地帯であることを把握していましたが、1945年6月、敵上陸に備えて全部隊が戦闘態勢につき、住民には西表島や石垣島中部・北部などのマラリア有病地帯への強制避難命令が下されました。軍のいない黒島や波照間島には残置工作員(陸軍中野学校出身のスパイ)が青年学校教師として密かに配備されていて、住民に強制避難命令を下し、逆らう者は暴力を振るわれるなどしたため住民は従わざるを得ませんでした。日本軍は八重山地方にある石垣島を主な拠点とし、兵士が多くやってきて深刻な食糧不足となりました。波照間島では米軍に奪われてはならないと家畜の処分を命じられましたが、その目的は強制避難命令と同じく日本軍の食糧確保のためではないかと言われています。避難地は湿気の高い場所であり、食料も薬もなく、川の水を飲み水や料理に使用したことなどから多くの住民が犠牲になりました。強制避難命令により、16,884名がマラリアにかかり、3,647名が命を落としました。戦闘で亡くなった住民よりもマラリアで亡くなった人のほうが圧倒的に多かったのです。


これまでに行ってきた平和学習では、沖縄本島についての内容がほとんどで、周辺の島々の戦時中の状況を深く学んだのはおそらく今回が初めてでした。記事を書くにあたり、もう一つの沖縄戦~戦争マラリア【シリーズ終戦特集⑥】を見ました。

インタビューに答えていた、父、母、兄をマラリアで亡くした冨底利雄さんの「毎日死体を担いでいた、毎日」という言葉がとても印象に残っています。マラリア感染者の苦しむ様子も生々しく語られていて、強制避難命令さえなければ家族を失う人がこれほど増えなかったのではないかと感じました。米軍の上陸も地上戦もなかった本島の周辺諸島で、毎日死体を運ばなければならないほど多くの人々の命が奪われた事実を理解することができました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?