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知らなかった「沖縄戦」:学生たちの感想から

沖縄が背負ったさまざまな歴史の中で、「国内最大の地上戦」(「国内唯一」という言い方もされるが、樺太でも地上戦が行われている)となった「沖縄戦」は、やはりもっとも重要な意味を持っているように感じます。すでに「遠い記憶」」になったとはいえ、「県民4人に1人がなくなった」とされる戦いです。その犠牲と傷跡は、今も沖縄の人びとの「記憶」に深く刻まれ、継承されていくものと考えられます。

今回は、2015年6月、NHKが放送したNHKスペシャル「沖縄戦全記録」をみて、その印象はもちろん、表現手法までさまざまな議論を行いました。

本来は現地で「沖縄戦」にまつわる学び、さらには取材・撮影を考えていましたが、以下は現地に行けなかった学生たちの「図上演習」とお考えください。

選んだキーワード

番組に登場したキーワードの中で、メンバーが重要と考えたキーワードです。伊江島の人々が追い詰められていく様子が長く紹介されたこともあり、「伊江島」を多く挙げられていました。また「防衛招集」された民間人が危険業務に従事し、最終的には「斬り込み」にも行っていたという証言も衝撃があったようで、複数の学生が挙げています。


沖縄県民死者12万人
捨て石
戦争神経症
火炎放射器つき装甲戦車
集団自決
伊江島
斬り込み
防衛招集
シュガーローフの戦い

防衛招集
一億玉砕
米軍の日本軍戦術調査
「本土防衛の最前線」
市民(civilians)
大本営
「無差別化」

シュガーローフについては別項にまとめました。


学生それぞれの感想

「こんなことが本当に起きていたんだという実感と恐怖を感じました。これだけでも絶句する内容なのに、ここには描かれていない事実もまだあるのだと思うといかに恐ろしく、悲惨なものだったのだろうかと考えてしまいます。」(五十嵐)

「民間人の犠牲数の多さに悲しみを覚えました。本土決戦に備えた時間稼ぎとして沖縄を捨て石にしたというまた、元米兵の方が自宅に星条旗や勲章を飾っていたのが印象的でした。大量殺戮を軍功とし、自己正当化を行うことで生きる希望としながら同時に殺戮を犯した事実には変わりなく、罪と過去に縛られて生きてきたのかもしれません。進んで戦地に赴いた方もいるでしょう。やむを得ず戦地に来た方もいるでしょう。加害と被害は糾える縄に似た関係のように思います。」(岸田)

「沖縄人に紛れて戦うという考えに至るほど追い詰められていた、狂気的であった。大本営は沖縄を戦争の最前線としたが、送った10万の兵力(訓練も武力も不十分)は十分なものだと判断していたのか。市民に紛れようとした日本兵は、一般市民に及ぶその後の被害を考えたのか。考えていたとして、どのような思いでその行為に及んだのか。」(宮澤)

印象に残った映像表現

自ら作品を作るという視点から、ドキュメンタリーの中で使われている表現手法についても、挙げてもらいました。中身のインパクトが強すぎて、あまり多くは挙がっていないような気がします。当然、遺骨や遺体の映像が大きな衝撃をもたらす内容であることから、その点を挙げている人は多いです。
同時に、米兵の証言を取りに行ったことで、複眼的にとらえられるようになったという点は、複数のメンバーが指摘しています。

「1. 電球を活用した「過去を照らす」表現  2. 写真を手持ちカメラで撮影することによる緊迫感の演出 3. 米兵の証言も取り入れることで作品内に絶対的な悪を作り出さないようにする取組み」(岸田)

「タイトル(アヴァン映像)の長さ。アメリカ側の証言も聞くことで、絶対悪を作らない。すでに亡くなった人の経験もとりあげている」(五十嵐)

「実際の戦争の映像、遺体の映像」(小田)

「頭蓋骨を洗って綺麗にしているシーン(をそのまま見せている)
戦没者の調査記録をビジュアライズしている
元日本兵、アメリカ兵のインタビュー
証言テープ
米軍撮影のフィルムを解析し、日付と場所を特定
証言のイメージ映像(の作り方)」(田村)

「人の目線でがまに向かうカメラワークがまるで自分が戦争の中にいるかのように思える。」(宮澤)

取材案:沖縄戦の「なぜ」の追求はますます困難になりつつある

本来ここにたどり着きたかった、沖縄で何を「撮る」か。ここは考えを深めていくと、難しさにたじろぐところでしょう。具体的な場所としては、伊江島とガマが挙がりました。伊江島観光の中に「平和学習」は入っていますので可能性はあるでしょう。

沖縄国際大学総合文化学部の石原ゼミが、2003年度に伊江島平和ガイドマップというのを作っています。


さらに深く「疑問」を追求しようという案として以下のようなものが挙がりました。非常に興味深いですが、たどりつくのが難しいものも少なくないです。

「相手国を混乱させるほどの日本軍や市民の戦いというが、人々はどんな『戦い』をしていたのか。当時の記録を閲覧出来る場所や当時を知る方のお話をうかがいたい。」(宮澤)

「1. 自決について語っていた元米兵の口振りからして自決や玉砕は日本にのみ見られることなのか?だとしたら自決や玉砕を行う日本人とその他の人々の違いとは何か。
2. 平和主義を掲げるキリスト教の信徒として米兵はどのような思いで沖縄戦ひいては太平洋戦争に挑んだのか。
3. 「琉球処分」により「併合」されて自分たちの文化を蔑ろにされ、本土防衛のための捨て石にされ、米軍統治下で米軍基地に占拠され、といった歴史的経緯がありながら、沖縄県民はなぜ「本土復帰」を求めたのか。
4.   沖縄県民は本当に単なる被害者だったのか。戦争である以上、一方的な被害者というのはありえない。米兵を攻撃した加害者としての沖縄県民という側面もないのだろうか。」(岸田)

多くの証言はNHK戦争証言アーカイブスに

放送の中に登場した証言の多くは、NHK戦争証言アーカイブスに残されています。また同じ方の証言を用いた別の番組の取材内容も掲載されているようです。


民間人の服で戦闘を行っていたという実態を証言した、元将校の伊東孝一さんは、2020年に99歳で亡くなっています。伊東さんが、戦死した部下の遺族に当てた手紙に対して、遺族からの返信が残っていたのですが、それを子孫となる家族に渡す活動が行われていて、その紹介記事出ていました。



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