知らなかった「沖縄の核」
米軍統治下の沖縄は、米軍の拠点となっていて、その状況は本土復帰後も続いている、というのは、多くの人々がよく知っているところです。しかし、そこに核兵器が配備され、しかも核戦争の危機が迫っていたというのは、ほとんど知られていないように思います。
NHKスペシャル「沖縄と核」の中では、実は日本政府も、沖縄に「核の傘」があることを望んでいたのではないかという見立てが、登場します。
番組内容についてのディスカッションのあと、2年宮澤さんが担当して、返還交渉にかかわり、のちに「密約」について発言した若泉敬さんについても調べています。
学生メンバーの挙げたキーワードと感想
激戦の末に多くの犠牲を出した伊江島が再び米軍の訓練場となり、しかも住民を強制的に立ち退かせて、核戦争の準備(LABS訓練)をしていたという点が印象に残ったようです。また読谷村のミサイル発射台には実際に核ミサイルが配備されていたばかりか、誤発射事件も発生していたことも大きな印象を残したようです。
メースB
「核の島」
LABS
DEFCON
ビキニ水爆実験
キューバ危機
伊江島
沖縄返還と核密約
銃剣とブルドーザー
感想としては、岸田さんのものを代表として挙げておきましょう。
「沖縄戦」から「基地と核」を見ていったことにより、翻弄された沖縄の人たちがなぜ本土復帰を望んだのかを疑問に感じていった様子が見えます。矛盾に満ちた形で「本土復帰」を受け入れていったプロセスを、その複雑さも含めて、どのように理解できるか。「沖縄への気遣い」というものが必要なのだとすれば、まずその複雑な事情を理解するところからのように思います。
岸田さんが批判している「外務大臣」というのは、小坂善太郎外務大臣で、1961年のラスク米国務大臣との会談で、メースなどの武器持ち込みを事前に発表しないでほしいと、日本側から提案したという話が出てきます。当時琉球政府議員の古堅実吉さんも、番組の中で憤りを表明しています。
印象に残った映像表現
遺族の写真の見せ方
グラフによる解説。
核ミサイル誤発射事故の再現CG
名前が表示される際のエフェクトが核爆弾を模している
立てかけた写真に字幕を出すことで写真の人々が実際に話しているかのように見せる
航空機の音
発射場内の当時の写真
取材案:伊江島・読谷・核密約、どれも容易ではない
伊江島のことが印象に残っていたようで、何人かから案が出ました。伊江島にしても読谷にしても、みんな知らされていなかった「核」の問題について、取材するのは簡単ではないでしょう。当時琉球政府で働いていた人たちに話を聞くことはできるかもしれないですね。
もちろん基地問題そのものについては、沖縄の人々のさまざまな意見を取材したいという意見は出ました。これは可能かもしれないですね。
「核抜き本土並み」返還の際、密約を作った若泉敬
1969年に沖縄返還について日米が合意した時に、核兵器が搭載されたメースBも撤去されています。しかし実際には、有事の際には核を持ち込むということについて、日米が密約を結んだとされています。この密約の交渉を行ったのが、のちに京都産業大学の教授となる若泉敬さんです。
若泉さんについては、NHKが2010年に「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」を制作しています(今回は視聴していません)。
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