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#264 一万円選書は知的好奇心のアウトソーシングか?

前回に引き続き、いわた書店の一万円選書についてのお話しです。

一万円選書とは、いわた書店の社長自ら読者に代わって本を選んでくれるサービス。ここで疑問がわいてきました。
これって本を選ぶという行為・思考の外部委託、アウトソーシング、丸投げなんじゃないかと。
本を選ぶ事は、自分の感性に従うこと。してみれば、一万円選書は自分の感性を信じずに他人任せにしてしまうこと。
もちろん、書店の社長という本のプロッフェショナルに任せることを否定するものではない。けれども、なにかひっかかる。

本を選ぶ、本を読む行為は極めて個人的な嗜好に基づく。(学校の推薦図書を除く)
自分の知らない世界を垣間見る旅、最新の情報を得るツールとして、時に自己啓発の手段として。
これらは全て自分が基点になる。その基点を人に任せることに危うさはないのか?

本好きの特徴として、自分の好みに偏重しがちなのは否めない。それを解消するため、ボクは新聞などの書評を参考にしている。書評を読んで「面白そうだ」と感じた本を選ぶ。ここでも「面白そう」はあくまでも主観であって、書評を鵜呑みにした客観ではない。
しかし、この主観にも第二の危うさが隠れている。好みの偏重がそれだ。
主観だけで本を選ぶと、得る知識・情報、感動が偏重しないだろうか。そして、この偏重に気付かないという第三の危うさも見え隠れする。

他人に任せる危うさ、偏重による危うさ、偏重に気付かない危うさ。
二重三重の危険を読書は孕んでいる。
もしかしたら、いわた書店の社長はこの三つの危うさに警鐘を鳴らすために「一万円選書」を思いついたのではないか?

もうすぐ、一万円選書が手元に届く。
その中に答えを見つけることができるかも知れない。

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