見出し画像

おじいちゃんとの最後のお別れ。たくさんの思い出を振り返りnoteに。

先日、おじいちゃんに最後のお別れに行ってきました。訃報を耳にしてから棺に入った姿を見るまではまったく信じられず、僕の思い出に生きるおじいちゃんは元気にたくさんの笑顔を見せていました。

姿を目の当たりにした瞬間、「あ、本当だったんだな。」とわかり、胸がきゅっと締め付けられるような感覚とともに、悲しい気持ち、残念な気持ち、悔しい気持ちが湧いてきました。

あれだけ元気だったおじいちゃんでも、病気には勝てなかった。どれだけ生きていてほしいと願っていても、叶わないこともある。そして、人の命はすべてをコントロールできるわけではなく、受け止めなくてはならない現実がかならずやってくること。強く、突きつけられたような感覚も生まれました。

旅立つ人は、生きている人たちの中で永遠になる。

僕は、死は永遠になると考えています。集まる親戚との会話の中で、いろんな時代の、いろんな表情の、いろんなおじいちゃんが出てくる。その思い出は、一人ひとりにしっかりと刻まれており、また、お互いに交換し合うことで広がっていく。生きている人の中では終わらず、続いていくんです。

逆に言えば、生きている人たちで多くを語り続けることが、先に去っていった人たちにとっての弔いにもなると考えています。その人達が願っているのは、生きている人たちの幸せ。るろ剣の受け売りですが、僕たちが少しでも長く、幸せに暮らしていること。辛い現実であっても受け止め、助け合って前進していくこと。

「死んだ者が望むのは仇討ちではなく 生きている者の幸福でござる」
----- るろうに剣心 明治剣客浪漫譚

僕の出生の地は山梨県。産湯は南アルプスの天然水。

生粋の神奈川県民ですが、お母さんが実家に戻っていたときに生まれたので、出生地は山梨県でした。生まれた病院も今はもう無いようなので、公開しちゃいます。(自分用のメモとして)

さすがに生まれたばかりの記憶はありませんが、つかった産湯は南アルプスから採れた水(水道水の水源)なので、好きなミネラルウォーターは南アルプスの天然水です笑

人生の一番古い記憶がたぶん、おじいちゃんとの記憶

自分の人生で一番古い記憶をさかのぼると、2~3歳くらいで、おじいちゃんと川遊びをしていた記憶です。一緒に川遊びをしていたとき、僕を守るために膝を怪我してしまった映像が頭に残っています。(流血事件)

幼いながらも、たぶん、その時の周囲が騒がしかったので鮮明に、ショッキングな記憶として刻まれたんだと思います。(ただ、当時の感情までは覚えていないですが)

もしかすると、そのとき怪我をしていたのが僕で、今こうして元気にしていなかった可能性も考えると、おじいちゃんに救われた命が今こうしてここにあると考えただけで、とても感慨深い記憶です。

カバン屋さんで遊んだ思い出

幼少期のほとんどの記憶は、おじいちゃんとおばあちゃんが働くカバン屋さんで一緒に遊んだ記憶です。普通に仕事場に行って、走り回ったりして遊んでいました笑

靴を買ってもらったり、ランドセルを買ってもらったりした思い出の場所です。だいぶ前にもう閉店してるので今はありませんが。

産みたてのたまごを買いに早朝からたまご屋さんへ出かけた思い出

朝早起きれたときのボーナスとして、おじいちゃんと一緒にたまご屋さんに出かけてたまごを買いに行くというイベントがありました。軽トラっくの横に座って、小さな養鶏場にいって産みたてホヤホヤのたまごを買って帰り、あつあつのご飯の上に落として食べる。絶品。

当たり前ですけど、産みたてのたまごってめっちゃ温かいんです。

おじいちゃんに連れてってもらった初めての滝「妙蓮の滝」

場所はたぶん、の記憶ですが、夏に何度か滝に連れて行ってもらった記憶があります。当時はどの道をとおって…とかは覚えていないですが、そんなに遠くないはずという予想と、記憶と写真や動画の雰囲気から特定しました。

幼い頃だったので、滝までの道が険しかった覚えがありますが、水の冷たさや水しぶき、荘厳さなどは記憶に残っています。今度、ぜひ時間を作っておとずれたいなと思います。

おじいちゃんと飲み交わした「春鶯囀」(しゅんのうてん)日本酒

二十歳になって、初めて教わった日本酒です。最近は、関東のショッピングモールなどでも見かけることがあったりしますが、知る人ぞ知る隠れた名品だったと思います。

美味しすぎて記憶を飛ばしてしまいましたが笑。醸造店も比較的近所にあるので、一緒におとずれ、お土産として買ってもらいました。


今度、墓前に添えて一緒に飲みたいと思います。

最後の思い出:京都での結婚式

子は鎹(かすがい)

お色直しの退場の際、僕の付添をおじいちゃんとおばあちゃんにお願いし、おじいちゃんからはコメントもお願いしたのですが、自己紹介から終始会場の爆笑を起こしていたのを今でも覚えています。そのときにもらった言葉です。

ひ孫の顔をみたいという期待かもしれませんが、約60年、夫婦として人生を歩いてきた本人からのアドバイスなのかもしれません。すべてが楽しいわけではなく、辛く、苦しいときもあったのかもしれませんが、それを乗り越えるエネルギーの源が子どもであり、その先にいる孫やひ孫なのでしょうか。

こればかりは、実際に親になるまではわからないかもしれませんが、おじいちゃんのように人生を楽しく生きるための処世術の一つとして、覚えておきたいと思います。

体験や思い出とともに次の世代へバトンパス

おじいちゃんと一緒に過ごした時間、体験したもの、まだまだ数え切れないくらいにたくさんあります。本当にありがとう。

おじいちゃんにしてもらったバトンを受け取り、今度は、僕が次の世代へ渡していくこと。少しでも、前に進められればなぁと思っています。