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【時と空間を越えていく縦のコミュニケーション】

2022年2月22日22時22分22秒を堪能することができた。

この瞬間を味わい尽くすために時計アプリをわざわざインストールし、5分前にアラームをかける徹底っぷりだ。
予想外だったのは直前で15秒間の広告が流れてきたことだ。
さすがにこれには焦った(笑)

画面収録で動画としても保存しつつ、スクショでも撮影して、今のボクにできることを全身全霊全力で取り組みこの瞬間を堪能することができた。

惜しむべくなのは「0」が混ざってしまっていることだ。
といっても、次に揃う瞬間は200年後だし、前回揃ったのは1800年前になるだろう。
2000年という悠久の時の中でも3回しかないのだ。

そう考えると奇跡的な時代に生まれ落ちたことはとてもラッキーだと思う。

人によってはそんな大袈裟な!という人もいるだろう。
西暦なんてものはキリスト教文化圏が勝手に決めたものじゃないかという人もいるだろう。

だが、2022年という時の中でさまざまな人が後世へと紡いできた重厚な物語がある。
西暦という概念があるからこそ、その重みに想いを馳せることができるのだ。

ボクは歴史を紐解くことやルーツを遡ることが大好きだ。
学生時代は歴史のテストが苦手で年号を覚えさせられることに非常にイライラしていた。
だが、大人になって物語として捉えることでとても面白いことに気づいた。

最近までなぜ面白いのかわからなかったが、人と話す中で気づいたことがある。

過去を遡ることは、縦のコミュニケーションなのだ。

僕らは不老不死にならない限り、100歳前後の人から0歳の赤ちゃんとしかコミュニケーションできない。
つまり、横のコミュニケーションしかできないのだ。

しかし、過去を遡ることで時と空間を越えて先人たちと交流することができる。
アインシュタインも真っ青になっていることだろう。
夢にまで見たはずのタイムマシンがすぐそばにあったのだから。

だからこそ、ボクは歴史やルーツを遡ることがとても面白いと感じていたのだ。

そして、今のボクらも未来を生きる後世の人々とコミュニケーションすることができる。

それは、なにかを残すことだ。

ブログでも本でも写真でも動画でも建物でもインフラでもなんでも良い。
なにかを残すことでボクのような変態が勝手に縦のコミュニケーションをとってくることだろう。

このプチブログだってそうなのだ。
膨大な投稿の中に埋もれていくとしても、いつの日か発掘される日がくるのかもしれない。
発掘されて再び光が差し込む日を楽しみにしようと思う。

そんなことを考えた今日この頃だった。

#ゾロ目  #2022 #歴史 #ルーツ

ヒャッハー!!むしろ、ボクがあなたのサポーターになりたい!!>< まだまだ力足らずのボクなので、今後ともよろしくお願いいたします!mm