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つながらなくてもつながる方法

「つながり」という単語をよく目にするようになった。僕自身も今配信している「柊通信」ではよく「つながり」という言葉を使っているし、「つながり」という言葉にはなんとなく人と人が離れてしまっているように見える社会の風景が溶け込んでいる。その中ではいつでも新しいつながりが希求されていて、飽くことなく誰かが誰かと出会いたいと思っている。

でも「つながらないでつながる方法」はないかな、と考えている。

「つながる」という言葉にはポジティブな雰囲気がある。コミュニケーションが多くて、何かに向かって動いている。エネルギーが多い。僕の言う「つながらないつながる方法」は、エネルギーを必要としない、無口でいても大丈夫なつながりである。

というのも、そもそも僕自身があまりつながりたくない人種だ。なるべく自分の中に引きこもっていたいというか、なるべくならひとりじっと本を読んで過ごしていたい。なぜつながりたくないのか。僕は頭に思い浮かんだことが言葉になるまでの時間が長くて、だから口で喋る時のスピードについていけない。間を埋めようとすると思ってもないようなことを言っちゃったりして後悔したり。そういう経験の中で、人と喋ることが向いていないと思ってしまった。つながるということは、誰かと関わることだ。

だからずっとインターネットという仕組みに助けられてきている。いつでもそこに人がいて、自分の好きなタイミングで触れにいけるということがとても性に合っている。間を埋めるための言葉はじっくり考えられるし(僕の場合、既読スルーではないんだ...)、会話が途切れることにドギマギすることもない。安心インターネット。

でもそんな僕にもつながりたいという気持ちはあって、だからこそ「つながり」という言葉を使っているけど、そこまでつながりたい気持ちがあるわけでもなくて...。

じゃあなんで「つながり」という言葉を使っているのかというと、「間を埋めようとして失敗する人たちがつながる場所」の可能性があるんじゃないかと思っているから。積極的につながることは苦手だけど、ちょっとしたつながりは持っていたい。毎週顔を合わせるのは疲れるけど、月に一回くらいちょっと違う風を入れてみたい。僕がそうなのですけど、久しぶりに顔を出したとて、無口でもいても大丈夫な場所が欲しい。

もちろん僕が作っているところでは僕が無口でいるのは無理だけど、安心感の中ならいくらでも話せる気がするし、「ただそこにいるだけ」で嬉しいところは、デザインの方法次第で作れるような気がするのです。

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