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ひとりでよりもみんなでいこう

ひとりで仕事がしたいと思って早15年。高校生の僕は周りに馴染めず、同級生がたくさんいる1時間に数本の電車の中をひとりで登下校をするような学生だった。

日常的に会話をする友達はいたけど特に親しい友達はおらず、心から楽しいと思えたことはあっただろうか。身動きがとれない教室で常に腹痛と戦っていたこともあり社会に出ても組織で働くイメージはできず、その頃からひとりで働けたらなあと思っていた。

私立文系大学に進学し、新設された学部の中でたったひとつのプログラミングができるゼミに入った。高校生のときからウェブサイトを作ることが趣味だったので、そのゼミの先生に出会った瞬間に絶対ここに入ろうと思った。ゼミで学ぶ内容が自分のやりたいこととぴったりすぎて、見つけたときのことをまだ鮮明に覚えている。2年生になり無事にそのゼミに入り、パソコン漬けの日々になった。大学で無事にひとりで集中してできることを見つけたのだった。

授業中も家に帰ってもひとりの世界に入ることができたその暮らしは幸せで、この時代に生まれてよかったとしみじみ思った。インターネットは使い方しだいで良くも悪くもあるけど、僕みたいにインターネットに助けられた人も多いと思う。地元にいたときは引きこもりがちで、人にまみれた東京にひとり放り出された僕に対して母親は「すぐ帰ってくるんじゃないか」と言うくらい不安を抱えた上京だったが、自分でどこにでも行ける環境に変わったからか、人が変わったように行動力が生まれた。その行動力のおかげで、大学では今でも濃い付き合いのある友達とも出会えたし、就職氷河期においてフリーランスでも生きているのでは...?と良い勘違いも与えてくれた。(これはとても大事なことだったと思う)

そんなふうに暮らしながらもやっぱりひとりでいることが大好きで、大学の卒業後はフリーランスで働けたらなあと思っていた。「就活面倒だし」と斜に構えたような学生で、両親もゆっくりしたもので何も言ってこないので、就職先を見つけようとしないまま卒業した。しかし、4月に入り同級生が入社式に出社する中、「仕事ないな」と思った。当たり前だ。僕は気付くのが遅いことには自信がある。さすがに卒業したてで経験ゼロの奴に仕事が回ってくるほどやさしい世界ではなかった。

もし何にもならなかったらバイトしていたケーキ屋で店長になれたりするかな?と思っていたのだが、ウェブの仕事はやっぱりしたかったので、アルバイトでも働かせてもらえるところに入ろうと思った。

Find Job! で都内の制作会社でかっこいいウェブサイトを作っているところを探した。面接には柄にもなくポートフォリオも持っていったけど、Perlを書いたことがあるという点で一点突破できた。

今でも自分を褒めてあげたいのは「かっこいいウェブサイトを作っている」というところから探したことだ。作っているものに自信がもてると仕事は楽しくなる。仕事のハードさよりも、かっこいいものを作っている!という嬉しさが勝った。先輩方もも尊敬できる方ばかりで、今でもお世話になっている。そして何より渋谷のIT企業で働いている自分に酔っていた。

とりあえず3年働けばそのあとは何をやっても許される気がしたから、3年働いてみてフリーになれそうだったらフリーになろうと思った。その結果、3年働いてフリーになった。

ひとりになって働くのはやっぱり楽しかった。毎日同じ時間に出社しなくてもいい!喋りづらい人と喋らなくて済む!人と会話することにそれなりのハードルがある僕にはそれだけでも快適だった。そして個人指名で仕事が与えられるのは嬉しくて、主体性も生まれる。その嬉しい気持ちだけで5年間突っ走ってきたかもしれない。僕は自動で案件が降りてきて役割が与えられる組織内の仕事はどうも居心地が悪いらしい。「これをやる」と自分で選んだということが大切で、その方が最後まで責任を全うできるような人なのだ、たぶん。

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そしてその楽しさも長くは続かないんだなあと最近は思っている。
端的に言えばひとりが飽きたのだ。フリーになってからの5年間、規模にして数万円から数千万円までのあらゆる仕事に関わってきて、「ひとりで行けるのはここまでか」というポイントがわかった。プロジェクトの中での立ち回る位置、リモートワークでの疎外感。どのプロジェクトでも主体性になれない...

ここ2年くらいの悩みの種はきっとこれで、同じようなスタイルで仕事をしていくことに疲れてしまっていた。仕事をすることがどういうことなのかわかってきて、それなりに主体性を発揮したいものの、ウェブエンジニアという肩書きが邪魔をする場面が増えてきた。

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タイトルにある趣旨はここから。
8月にこんなツイートをした。

みんなでやることを考え始めてから、すっと心が軽くなった。そうか、みんなでいけばいいんだ。ふと気づくとひとりに縋る自分の姿はそこにはいなくて、みんなでいく未来が見えていた。

今までこんなことまったく考えもしなかった。みんなで行くなんてのは面倒でしかなくて、ひとりでいたほうが楽だし、それ以上に何があるんだろう。ひとりで気軽に生きていくことが最善だと考えていた今までの自分。まだそういう考え方は片手に残っているけど、そういう気持ちは砂が零れ落ちていくように消えはじめている。

なにより、みんなでいく未来を想像しはじめたら、言葉が止まらなくなる自分がいる。ウェブ制作だけじゃないことがしたい。健康的で暮らしも大切にできる働き方がいい。できるだけ時代に見合った方法・報酬で働きたい。そのためにみんながやりたくて得意なことを活かしたい。そして、自分たちは当然だけど、さらに周りも幸せにするようなことがしたい。

石を集めて並べたり、木を拾って家を作ったり、泥の上を滑ったりする子どもたちを見ているうちに、子どものときに持っていた好奇心を持ったまま社会を乗り切れる方法はないだろうかとも考えるようになった。子どもの頃に持っていた好奇心や、好きなことを好きだと言う気持ちの強さは、大人になるにつれてなぜか減っていってしまう。あらゆる物事を知り世間と距離を測る術を知ってから、自分という存在が次第に空虚になっていく。子どもの頃の個性の密度を保ったまま生きていける社会になったらいいのにという想いも生まれてきた。

そういうことを考えるたびに「作品を作りたい」という気持ちが出てきた。個人の興味でいろいろな哲学に触れるたびに、新しい表現に触れるたびに、自分が主体的に関わって、作品と呼べる何かを作りたいという気持ちが湧き上がってくる。今の肩書きではできないこと。自分のあり方を示したい。商業的で資本主義的であることへ抵抗をしたい。偏愛の時代において、偏愛が幸せを生むようなデザインができたらいい。

高校生の自分からするとまるで180度の転回。従順であることで自尊心を保っていた過去からは考えられない今の自分の姿に自分でも驚く。自分にできることを探して自分で形を作っていくことに対して、苦手意識も感じない。

「ひとりでいくほうが楽」を捨てて、「ひとりでよりもみんなでいこう」はこれからの僕のスローガンだ。

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