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人間が生きるべき時間に向かって

柊通信なるもの

2020年12月1日、「柊通信」というメルマガを始めた。

どの時代も完全ではなく、人々は右往左往して生きている。果たしてどのような社会であれば人間が満足するのかもわからない。でもなるべくならその中で最善を尽くしたい...ということで、「柊通信」は、僕が「こうなったらいいな」と考える未来に向かって投機する物事だ。

オンラインに目を向けると、刺々しい言葉が増えてきたり、広告ばかりで人間の温かさが感じられなくなっている。現実に戻ると、誰もがイヤホンをしていて目を合わせることすらも怖くなっていたり、貨幣を介してではないとコミュニケーションが取れなかったり。オンラインもオフラインも息苦しくなっていく社会で、無理をしないで安心していられる場所がすごく限られてしまっている。ひとりで何もできず、ただここにぽつんと立っているだけのような。そんな社会でできることはなんだろうと思ったときに、まず僕の周りに点在している繋がりを、ゆるい輪郭で繋いでいこうと思ったのです。
(2020年12月1日配信「柊通信 Vol.1」より)

突然地球に生まれ落ちた命を日々を繋いでいくことしかできない私たちが、なるべく健やかに、飽き足らずに、毎日おいしいご飯を食べて満足するように生きるにはどうしたらいいのか。フリーランスとして毎日PC の前に座って仕事をする中で、ビットを通して部屋でひとりコミュニケーションをとる中で、人間ってどうあるべきなんだっけ、と考える。

デジタル社会は便利で楽ちんだ。僕はテキストでのコミュニケーションが大好きだし、喋らずに物が買える通販も日常的に使う。SNSは自分が好きなときにアクセスできるし、しかもそこに人の気配がする。喋らずに、寄り道せずに、いろんなことができて最高だ。

でも、そうしていった効率化の先に、本来必要だったはずの繋がりも失われていってしまうんじゃなかろうかとも感じている。目先の便利を追求した結果、待っているのは人間の世界ではなく、ロボットの世界なんじゃないか。ひとつひとつの仕事は早く終わらせられるのに、空いた時間でまた仕事をしていたり。今は、ロボットがやるべき仕事を人間が肩代わりしているんじゃないかとさえ思う。効率化が生み出す「忙しさ」に取り込まれずに、人間らしく生きるための時間の使い道が他にももっとあるはずだろう。

たとえば誰かとゆっくり話す時間や、美術や音楽に浸る時間。本を読んで感想を書く時間や、映画を観る時間。そして散歩をしたり、深呼吸する時間。人生の時間をそういうことでいっぱいにできたら幸せな気がする。さらに自分の時間に余裕がもてるようになると、隣人を愛せたり、他人にやさしくなれたり、政治に興味がもてたりもするんじゃないだろうか。

効率が引き起こす忙しさから抜け落ちてしまった豊かさを拾いつつ、効率の中に埋もれていく孤独の点とそれぞれの日々を、ゆるやかに繋いでいく。そういうことが「柊通信」をはじめとした活動の中で実現できたらいいなと思っている。人間が生きるべき時間に向けて、まずはできるところから、楽しみながら。

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