うっすらと愛を感じる不意の贈り物
『思いは言葉にしなきゃわからない』とよく耳にしていたし、わたし自身もそう思っていたが、あながちそういって片づけられるものだけではなさそうだ。
贈り物は、気持ちを言葉で表しづらい人にとっては、思いを伝えやすいツールにもなりえる。
しかもサプライズを演出すれば、より一層強い武器になりえる。
わたしがこれまでで驚いた贈り物は、兄からのものだ。
わたしの兄は、実に不思議なひとである。
なにを考えているのかわかりにくい。
兄はわたしより4つ年上。幼少時代から成績優秀。今のところ独身で、京都の風情ある街並みの中で1人暮らし。あるウィルスが全世界で流行る前は、日本国内だけでなく海外にもよく出かけていて、「今兄ちゃんはどこにいるの?」と母に聞くことが多かった(ヨーロッパらへん?と母もあいまいな返答をすることも多かった)。
兄妹仲はふつうによい。小さいときはわたしが必死に後ろを追いかけていた記憶がある。
兄はそこまでベラベラと話す人ではない。酔っているときを例外にして。
今まで何度も疑問に思う言動があり、その解読にはやや時間を要する。
そう、あのときもそうだった。
3年前の12月、久しぶりの兄からのLINE。
『24日ひま?』
12月24日はクリスマスイヴ。
それをわかっての質問なのかどうかも不確かだったが、なにより9月に既婚者になった妹にこの質問をしてきたのもなんとも言えない驚き。思わず眉をひそめた。
ひまと言えばひまだが、夫と家でケンタッキーのチキンを食べるという特別イベントが控えてはいる。
わたしは『家でチキンを食べる予定。』と打ち込む。
『チキンだけ?』と返事がくる。
なんなんだ?と疑問がとまらない。
『これはなんの確認?』と聞くと、『おいしい肉が手に入った。』と。
問いと答えが噛み合っていない。
長年の妹の勘からすると恐らく、おいしい肉が手に入ったんだけどよかったら一緒に食べないか?、というお誘いだ。
言葉が足らなすぎやしないか?
しかも、わたしとわたしの夫と3人で肉を食べようとしている。わたしにとってはすごい構図だ。
夫の『わが家によんであげようよ』という優しい提案のおかげもあり、わたしは兄に24日わが家で焼肉パーティーしようとLINEに打ち込み、スケジュール帳の12月24日の欄に、“兄が来る”と書き込んだ。
24日当日。
すごい荷物とともに兄はやってきた。
おいしいという肉の量がすごいではないか。
一つひとつ、これはどの部位かを熱心にいってくる兄。
まずは兄にコーヒーを出し、わたしと夫は食材の準備をする。
夫は兄に明るく話しかけ、兄もそれに答える、なんとも和やかな時間が流れた。
ホットプレートを用意して準備をした野菜や、おいしい肉たちを焼きはじめ、ビールを飲もうと冷蔵庫からテーブルにビール缶を出した。
すると兄が立ち上がり、鞄の中から木箱を取り出し、なにも言わずにこちらに差し出した。
「え、なに?」といいながら、木箱を開けると赤と青のグラスが二つ。
「先週、沖縄に行った。めずらしい色合いらしい」
これは沖縄に行った際に見つけた琉球グラスらしく、ビールをいれるのにちょうどよいサイズだ。
夫が「わざわざお土産ありがとうございます」というと、兄は微妙な顔になる。
食材の焼ける音だけが聞こえる。
ここでも長年の妹の勘が働いた。
恐らくこれは、単なるお土産ではなく、“結婚祝いの贈り物”なのだ。
わたしは3年前の9月に入籍をした。
本当は9月に結婚式をする予定だったが、ご時世的に長期延期となった。
当初、両親や祖父、親戚からは入籍のお祝いの言葉やお祝いの品をたくさんいただいた。兄はというと、何もなかった。それでもなんとも思わなかった。
おそらく兄は、わたしたち夫婦への贈り物をなににするのか考えを巡らせてくれていたに違いない。
そして、いつ渡すべきかも悩んだことだろう。
言葉でしっかり“”おめでとう”を表すのには、兄の性格的にためらいがある。
そんな時に丁度よいイベントが24日にあったのだ。
下手をすれば、“クリスマスプレゼント”と間違われる可能性だってあったが、この日しかないと思ったのだろう。
それを逃すと、お正月。家族・親戚が集まっている場で渡すなんて、不器用な兄の選択肢にはなかったのだ。なんで今?という疑問を抱きながらも、その不器用さをも愛らしく思えてくるではないか。言葉での説明が少なく、兄の言動の解読は難航したが、わたしの口角は緩んだ。
妹にはよいサプライズになった。
「お兄ちゃんありがとう。これ、夫婦(めおと)グラスみたいだね。2人で毎日使うね。」というと、ホットプレートから出る煙の向こうにいる兄はビールを飲みながら満足気なうなずきをした。
どうやら、妹の勘は当たっていたようだ。
琉球グラスで飲むビールの美味しさは格別だった。
わたしと兄との贈り物のおくり合いはここからはじまった。
わたしはというと、ちゃんと兄の誕生日に贈り物をしている(LINEギフトで手軽にだが)。
兄は、わたしの誕生日にはうんともすんとも。
しかし、ここ2年ほど12月24日には兄がわが家に来てパーティーをすることになっている。
いつもすごい荷物を持ってきては、おいしい肉(ちなみに去年は鴨肉。絶品だった)と贈り物をくれる。
贈り物は、3年前は結婚祝いだったが、それ以降は誕生日兼クリスマスプレゼントへと変わっているようだ(これも妹の勘だが)。
そして、たいてい24日にお酒を飲みまくり、泊まっていくことも恒例になっている。これもある意味サプライズだ。
『思いは言葉にしなきゃわからない』ーー。
わたしと兄の関係では、これはどうやらあてはまらないようだ。
贈り物は、どういう思いが込められているのか想像することで心が温まる瞬間を与えてくれる。
言葉で表すよりも、威力が優ることもありえるのだ。
そして、渡すタイミングはもちろん誕生日や記念日であれば、その付近がよいとは思う。
ーーが、わたしの兄のように、“渡したいときに渡せばよい”。
もしくは、“思いたったら渡せばよい”のだ。
うっすらでも、思いが伝われば、それでいいのだから。
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