似てるようで違う 漢字編

 俺はいままで、何をやっても中途半端だった。
いや過去形じゃない、中途半端だ。心の奥底では、他人が頑張ってることを見下しながらも「何かに熱中している」、「周りに目もくれず、それ一筋になって必死にやっている」ことを羨ましいと思ってしまう。侮蔑と嫉妬の同居。
 
 今ひさびさに「侮蔑」と打ってみて、あらためて嫌な、できれば使いたくない熟語だなと思った。はじめ、後悔の「悔」が使われていると思った。でもあらためて見たら、りっしんべんではなくにんべんだった。これはほんとに驚いた。後悔は「人の心」に深く関わってくる(りっしんべんなので)。しかし、「侮蔑」の侮は人全体に対して深く関わってくるんだと思った。すごく気になってしまったのであとで検証してみる。あとこれは蛇足だが、こういう漢字の成り立ちを文学部では深く学べない。さらっとあたりさわりない感じでやって終わり。まあ、俺の通っていた大学だけかもしれないが。
 
 話を戻そう。とにかく俺の心の中にはここ数年、侮蔑と嫉妬という感情が同居している。普段嫉妬より侮蔑の方が強く出てるから、義母的立ち位置なのかもしれない。そして、ここ数年というのがポイントだ。少なくともこういう風に思うってことは、ここ数年上手くいっていない証拠だ。間違いない。

また何を書いているかわからなくなってしまった。
要は、これを改善したいのだ、これを機に。でもまず、侮蔑という感情は一生直らないだろう。

ただ、嫉妬は消せる。ほんとに消したい。多分これを消せたらもう一方も消せると思う。ようは努力しろってことか。こういう感情を持つってことは後ろめたい気持ちの裏返しなので、日々自分と向き合って自分とたたかっていきたい、Fin。
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