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「君たちはどう生きるか」の見方について(ネタバレなし)

 以前に宮崎駿監督は、「大人の弱点は何でも整理してしまうこと」とテレビで言っていました。
 私はそれに感銘を受けました。また、宮崎作品もそういう整理や線引きを越えた作品が多いように思えます。
 例えばアメリカ映画の様に正義のヒーローが絶対的な悪を倒す、「善対悪」というはっきりした二元論でなく、宮崎アニメは、「善悪不二」のように思えます。登場人物は皆、良い所も悪いところも共存して動いている。結果、誰が正義で誰が悪か評価できない世界。
 それは、「善対悪」だけではなく、全てがその「対」という線引を取っ払った設定の作品に思えます。
 1.眞人や夏子、父は普通の体型だが、お婆さん達が異様に顔がでかく、「現実的体型とアニメぽい体型」の線がない。
 2.時間が、「過去と現在」という線がない。
 3.空間も然り。
    4.セキセイインコが、「かわいいVS気持ち悪い」を越えたキャラになっている。
 他にも色々あるし言いたいのですが、ネタバレに触れそうなのでここまで。
 私はそうやって、二元論(二分別?)を取っ払って、この映画を観るようにしました。こうやって観ないと、矛盾だらけのあるいは単に意味不明の映画に見えてしまう気もしました。
 仏教で言う「中庸」。
 レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザのように、微笑んでいるようにも悲しんでいるようにも見える。
 そんな作品に思えました。
 
 

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