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言葉ではない安心を得るには

「愛着対象になる」というのは、必ずしもパートナー関係になるということではないと思っているけど、
同年代の異性同士だと、なんとなくそうなることでしか愛着対象になれない感じがしてしまう。
だから性別が邪魔だなって思う。

異性愛者の同性同士であれば、親友とか家族に近い親しさとか、
性愛が絡まない形で、相手の安全基地になれそう。

なにが一番ネックかというと、
触れること、スキンシップをとることでしか得られない安心感があるということ。
こういう、本来は母親から得たかった肌の触れ合いを親以外の人から得るとなると、パートナー関係しかないのではないか。

やさしく触れる、頭を撫でる、ハグをする
寄っていったときに、抱き寄せてもらえるフィット感、
これを大人になってから親以外から得るのは難しい。
けど、これが、言葉ではない形の安心感なんだよな。

無条件に受容されて
言葉以外の方法で肯定される手段。
それを得たくて得られなくて、苦しむ状態に何ができるんだろう。

「一緒に悩むよ」っていう中和のさせ方では追いつかない(ような気がして)とても、もどかしい。
余計なお世話だろうとも思う。
でも、そこに触れようと思うことで自分を癒そうとしてるもんだから、考えずにはいられない。

性愛ではなく、かつ言葉以外で安心感を与える手段として
・手作りの食事
・心配を行動で示す

が浮かんだ。どこまで癒しになるのかは分からない。
しなないでほしい。
これもやっぱり私が私に思うこと。
苦しみを内包するって難しいね。

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