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誰でも書けることは誰も読まない

そんなに多くの人に共感してほしいわけではないのだが、誰からも読まれないと文章の意味がない。

ということで、どうしたら人は文章を読むのかというのを、ない頭ながら考えている。しかもこうしたことはnoteの書き手がよく考えることであって、要するに、これはよくある文章なのだ。

みな忙しいということを念頭に置くと、こんな文章は読むだけ無駄と思われてもしかたない。しかも人はまとめたいという欲求があるから、一緒くたにされてしまって、記憶にも残らない。

こうしたことは最近の数多のことと同じだ。引きつけられるものがあれば、少しは見てもらえるけれども、何もないと判断されたら目にすら入らない。供給側のハードルが下がっただけに、需要はそれに追いついていない。

ではどうするかといえば、目を引くだけのタイトルの記事が多くなる。とはいえ、書き手も非常に労力を使って作っている場合も多々ある。それでも見る気が起きない。みなは何がほしいのだろうか。それに合わせるのも手だが、概してそういうのは見透かされる。

要約してしまうと、人は「こんなにいろいろいて困る」と絶望するほどには違わないといっていいのではないか。ここに希望を見出すことができる。だから人に言葉は通じるし、わかり合うことができると思う。読まれないというよくある悩みは人類の希望なのだ。

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