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時間は最小の動きを定義したものである

時間とは不思議なものである。それを客観的に計測する時計がなかったなら、誰も同じ時間感覚で生活などできなかっただろう。待っているとき時間はゆっくりに感じる。何か楽しいとき時間は早く過ぎる気がする。時間内に何かをやらなければならないときには本当に時間など足りない。ちょっとしたことで時間は過ぎてしまうのに、それを取り戻そうともがいても全然縮まらなかったりする。

これを考えてみると、時間は関係なのだから、何かしら別のもので考えなければならないということだ。つまり、数字を使うとか、作業の数を数えるとかすることで時間を考えることができる。そのままでは、時間は漂う空気のようなもので、見えもしなければ、計ることさえできない。だから時計は歯車と水晶の関係を数に変換しているのだ。1秒とは定義されたものであるのは間違いない。これがあるとするならば私たちは何かを間違うだろう。

タイムを縮めたいなら、無駄を取り除くことだ。考えられる最小の動きを定義し、それを元に全体の量、すなわち時間を構成しなければならない。本を読まなければいけないのなら、最小の単位は1ページを目で追う動きになるだろう。しかも理解しなけれはならないとすれば、頭に入るのを考えに入れなければならない。そしてその最小単位を短くするか、その間の時間を無駄なく運ばなければ本を読むタイムを縮めることはできないだろう。

焦ってはいけない。最小単位は動かすことはできない。それを基準に計るか、無駄な動きを省くことしかできない。

まとめ

  • 時間とは実は空気のような漂っているものである。

  • 時間を客観的に見えるようにするには、最小の単位を定義するしかない。

  • タイムを縮めたいなら、最小単位の動きをすばやく行うか、無駄な動きを省くしかない。

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