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「汽笛の海」にあてて

2024年2月7日に、レーベルKAOMOZIよりわたくしTiroruの1stミニアルバムである「汽笛の海」がリリースされました。今思えば、この曲達は2023年の夏以降に続いた精神的な不調を癒すための、生き延びるための、箱庭療法的な意味合いで作られたものであるのでしょう。また、丁度その時期に触れた作品、「君たちはどう生きるか」「Seabed」。この2作より受けた凄まじい衝撃を、どこか呪いのように受け止めながら、体に絡みついたそれを一つずつ解いていくように作り上げた物語、水流、季節、箱庭、で、あったように思います。少しこの2作について触れたいと思います。わたしはこの2つの物語は箱庭の物語であるという所で共通していると考えています。アニメーション映画やノベルゲームはまずそれ自体が箱庭的ではあるのですが、これらの作品は箱庭的な概念をよりメタ的に捉えています。「君たちはどう生きるか」では、無意識的な思考の速度を辿るように、オートマティスムのような景色の流動を以て箱庭が開かれていく。(「Seabed」は、また違う形で複雑かつ美しく箱庭が展開していく物語なのですが、その説明には重大なネタバレを含むことになるので割愛させていただきます泣 本当に衝撃的に美しい物語なので、ぜひ一度プレイしてみてください…!) 話を戻しましょう。わたしが練り上げた箱庭について、その有り様を目の前にして考えた時、季節の流動という事象は、その美として最初に浮上してくるものでありました。これは言葉よりも寧ろ音世界に表れたものであると思います。それは季節やそのための時間、空間、自然や他者を内包するためのノイズ、音像です。余談ですが、これは私がアンビエント音楽やフィールドレコーディング、ECMの現代ジャズを昔より好んで聴いていることがその理由として挙げられるでしょう。それらの音響美学は、意識的に、わたしによって再生産された、と言うよりは、わたしの血肉になって、アイデンティティから滲み出る様に音楽になっていった感覚があります。今回の作品集を制作していた時はOded Thurの「Isabela」、Michele Rabbiaの「Lost River」、Stephen Vittello&Molly Bergの「The Gorilla Variations」、Shushi Matsuura&遠野朝海の「Vespers」などを聴いておりました。後ほどそういったプレイリストを公開したいと思っているのでぜひ聴いてみてくださいね。
(追記:プレイリスト公開しました!)


しかし、箱庭、またはそれに付随する概念はとても不思議で、違和感に満ちたものであると思います。箱庭というものは、また、その箱庭の住人である私は、私にとって無意識の空想です。それはわたしの実存そのもので、(まさにわたしの生きる世界でわたしがそうであるように)それ以下にもそれ以上にもなれないものです。しかし、私は箱庭の私をみている、みることができる。外側として、より上位の存在として、私自身をみることができます。明確に。わたしは箱庭において生かされている自分自身であり、そこにありながらも、その外側にいる感覚を持ったまま箱庭の私自身を見ている、同じように私も私によって見られているという強烈な違和感が、奇妙なフラクタル構造がわたしの中には確かに存在します。わたしはわたしがこの社会で、正常に生活するために、生き延びるために望むのは、その空想に閉じ込める箱庭からの脱出ではなく、閉じこもることでもなく、そうした違和感、視線からの逃避だったのだと思います。だから、わたしは、自分自身を生きながら、箱庭の奥底にまで手を伸ばしていく必要があります。箱庭を、私自身を旅することこそが、そういった違和感から、視線から、逃避するための、本当にポジティブな手段であると考えたのだと思います。わたしが生きていることと、空想、そこへと入り込んでいくこと。それらは全てが同時に行われます。この作品集は私の空想や箱庭を映し出したものであり、その中の「旅」そのものでもあり、わたしがわたしではないわたしによる視線を全て遠ざけて、わたしだけの季節や時間、海、都市、動物、食事、眠りを抱えながら生存するための、希望であるでしょう。

最後になりますが、ジャケットに素敵な写真をくださった永瀬さん、そのジャケットの美しいデザインを含め、わたしの初めてのリリースをサポートしてくださったKAOMOZIの駒澤零さんには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
いっぱい聴いてくださいね。以上です。

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