☆モノに命や魂はあるのか、ないのか
物はよく使えば使う程、持ち運べば運ぶ程、失くしたり、壊したりするリスクは上がる。そういう物たちの中でいくつかは、やけに長い間手元にある。
今使っているこのシャーペンは、高校の時からのものだ。頭部分は紛失し、ティッシュを詰めてあるが、環境が変わっても当たり前のようにこのシャーペンで文字を書いてきた。この髪どめも長く使っているが、先日墓参りに行った時、上着のポケットからすべり落ちたのだろう、今度行った時探せばいいや、と放っておいたところ1ヶ月後、砂利の中にちゃんとあったのだ。
今までにいくつものシャーペンや髪どめが壊れ、失くなるのに、そう、この物たちは壊れないし、失くしたとしても戻ってくるのだ。
一方で、買ってすぐのiPod、駅までの道のどこかに落としたが、いくら探しても見つかることはなかったし、ファミレスのトイレに置き忘れたハンカチも、10分位で気づいたのにすでに無かった。
去ってしまう物とそばに居続ける物、手放されたのに戻ってくる物、そこに物の意志みたいなものを感じる。
もう着ないからと、廃棄予定の場所に置いたはずの服がいつの間にかタンスに入っていて、知らずに着続けていることがある。ヨレヨレのタオルは、雑巾として余生を送るが、何度か雑巾として使われた後で、しれっとタオル置き場に戻っていることがある。私はまだやれるわ、みたいに。この、返り咲き現象を見ると、私はこの物の生命力をびんびん感じてしまうのだ。
頭ではわかっている、モノに命や魂なんてあるはずがない。掘り出される埴輪と埋もれたままの埴輪、そこに何らかの差は本当に無いだろうか。無いと言い切る自信はもはや私には無い。
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