文字を吸って文字を吐く

ずーっと自分を表現する手段を持ちたいと思っていて。

というのも最近、植物から水分が蒸発するみたいに、エネルギーが自分から逃げ出している感覚があるんです。

自分の意図しないところで自分を疲れさせているのももったいないし、いったい何が原因でどんなエネルギーが逃げているのか、考える取っかかりとして、言語化に頼ろうと思った次第です。

でも、現時点で、その原因についてぼんやりとですが心当たりはあります。それは、自分が一般的に幸せと言われること、当たり前とされる色々なことに対して、自分の手に余ると自覚し始めたから、という仮説です。

もう少し言葉を足すと、自分に必要なのは自分の手の届く(届かせたい)ごくごく狭い範囲内が満たされていることだけで、自分の幸福に他人が直接介入する余地がないんじゃないか、ということを考えています。でも、他人と楽しい思い出を共有したり、他人と関わって影響を受けたりした先の新しい自分に出会うのは好きなので、たんに人間嫌いということでもない気がします。

この疑惑がもたらす他人との決定的なずれは、恋愛感情が分からない、ということ。今の自分が持つことができる他人への好きの最大量は、執着くらいまでだと思います。でも、「恋愛感情が分からない」自分に気づいたのはごくごく最近です。それは恋愛感情が分かる人が普通だから、自分も精神面が成長すればきっと人を好きになれる、と信じたかったからなのかな、と思います。

そんな気づいていないずれが他にもあって、かつ、それを無意識に察知して自分と周りを騙すために、無駄なエネルギーを消費しているような気がするんです。空気を読むことに長けている自覚があるので、余計にそう思うのかもしれません。

ここまで来てやっと表題に話が近づくのですが、自分と周りとのずれ補正に疲弊した心の休息に、読書がすごく大きなウェイトを占めていたと、振り返って思っています。高校の図書室で借りて読んだ辻村深月さんの「オーダーメイド殺人クラブ」は今でも一番好きな小説で、卒業後に当時読んだ単行本をどうしても手元に置きたくて、古本屋さんを探し回りました。文庫なら今も出版されていると思うのですが、単行本の表紙込みで大好きな本だったので……。

物語の中の登場人物と、現実の人物とを投影させたいところはそう読めばいいし、切り離したいところは切り離して読めばいいところが、フィクションの優しさだと自分は感じます。「こんなことを考えている人もいるけど、どう?」と聞いてくるくらいの控えめさというか、健気さというか、そんなところが好きだなあと思います。

長くなってきたのでそろそろまとめます。このnoteを使ってやりたいことは、今の自分にとっての幸せの形や大きさを文字にしていく試みです。自分の幸せの範囲を知っておけば、自分を不必要に疲れさせなくて済むし、他人に不必要に自分を偽る必要もなくなるんじゃなかろうか。今の自分のことが分かってきたら、物語も書いてみたいな。



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