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ヒトとの距離感

ヒト同士、適した距離感がある。


ある人とは、ベタベタする恋人。

ある人とは、ただ冗談を言い合う友達。

ある人とは、業務連絡だけする同僚。


社会に出ると、学校では喋らなかったような人とも話すようになる。

できるようになったわけではなく、そうせざるおえなくなる。


会社での自分は、全ての人と良好な関係になろう、と思ってきた。

人を嫌う自分が許せなかった。

嫌いな人とは、対話が足りない、と自らもっと話す機会を作っていた。

全員と等しく近い距離感であろうとした。

それが優しさであり、平等だと思ってきた。


けど、どうしても相いれない人は出てきた。

職場にそんな人が増えると居心地が悪くて、自分からその場を去った。

「自分と違う人間たちだった。」

「他に自分を受け入れてくれるところはあるはずだ。」

「人間関係に囚われないようにスキルをつけよう。」

そう思って、今まで転職をしてきた。


今の職場に出会った時「ああ、ここなら大丈夫。」と思った。

今までのように役割としての上司ではなく、人として向き合ってくれる人がいる。

会社ではなく、個人事業のカフェだから、組織特有のギスギスもない。


けど、結局はぶつかってしまった。

自分が良かれと思ったてしてたことが、相手には不快だった。

自分が仲良くなろうとした普段の態度も、相手には不快だった。


またやってしまった。

ここでダメならもうダメだなと思った。

逃げて、逃げて、逃げた先でも同じ問題が待っていた。

もう逃げれない現実があった。


その人から、こんなことを教えてもらった。

「ヒトには適切な距離感がある」

「シンヤのことは好きだが、仕事を続けていく上で、取らなくてはいけないスタンスもある」

「その距離感がヒトへの配慮かもしれない」


性格上の距離感もあるし、環境下で必要な距離感もあるんだ、と知った。

Aさんと居酒屋で会ったら友達かもしれないけど、仕事で同僚になったからには、距離をとらなくてはいけない時もある。

今まで距離をとることは冷たいことだと思って、なるべく距離を近づけようとしてきた。

けど、相手との関係に合わせて適切な距離を取ることが、本当の意味で平等で、優しさで、配慮なのかもしれない、と気づいた。


また、スキルさえあれば、人との関係に囚われないわけじゃない。

どんなに小さくても、人が集まる場所では、スキルと同じくらい、距離感を維持することが大事だったんだ。


人との距離感を誤り、その問題に目を向けず、スキルを得れば大丈夫と違う環境に逃げ、精神を病み、スキルがつかずに会社からも逃げた。

そんな自分の足跡がとても恥ずかしくなった。

今まで会社を辞めたのはもったいなかった、と後悔しそうになった。


けど、あのままだったら、こういう本音を話してくれる人には出会わなかったし、自分もどこかで言い訳して向き合わなかった。

だから、これで良かったのだと思う。

大事なことを、ありがとう。

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