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【経済のモノサシ】宇沢弘文「宇沢弘文傑作論文全ファイル」2016


要約

 経済政策は100年近く新古典派(自由放任)とケインズ派(政府介入)のあいだを揺れ動いている。近年は新古典派が優勢だが、社会課題の放置と、マネーサプライ増加によるインフレ、高金利が懸念される。
 しかしどちらにしても、主流派経済学は「私有」を極端に抽象化しすぎている。現実の世界では、ほとんどの「私有」は「公共」と複雑な関係を持っており、その結果、公共を益したり害したりする。
 本来、経済学は市民の幸福実現や権利擁護の手段であったにもかかわらず、現在の主流派経済学は市民の幸福と権利を取り扱う術を持っていない。経済学はヴェブレンの制度主義に立ち返って「私有の困難さ」の探究と解決に注力すべきだ。

本書について

 宇沢弘文さんはスタンフォード大学助教授、カリフォルニア大学助教授、シカゴ大学教授、東大教授を歴任した経済学者。専攻は数理経済学。シカゴ学派(ミルトン・フリードマン)に批判的で、スティグリッツとアカロフ(2001年ノーベル経済学賞)も宇沢さんのセミナーを聴講していたそうです。社会的共通資本理論の開拓と応用(公害問題、環境問題)に注力。この論集は1974〜2010年の論文抜粋です。

米国主流派経済学の教義と変遷

新古典派(シカゴ学派)のおもな主張

  • すべての財・サービスの生産および消費は私的な利潤追求という動機にもとづいてなされる

  • 合理的期待形成仮説(マネタリズム) 市場の全ての情報を知った合理的経済人は、市場のメカニズムや制度がどのようなものであれ、それらの将来にわたる制約を織り込んで市場の価格と需要を予想した結果として価格と供給量を決めるのでその確率分布を政府の規制や政策によって変化させることができない(なぜならすでに織り込み済みだから)。その結果、名目価格水準とインフレーション率は、貨幣供給量もしくはその増加率のみに依存して定まる。

  • サプライ・サイド経済学   ① ラッファーの命題: 税率ゼロのときに税収がゼロになるだけでなく、税率100%のときにも税収はゼロとなる(労働意欲もゼロになるので)。したがって、税収最大化地点はその中間にある。税収最大化地点を超えて増税すると税収は低下する。② トリクルダウン: 所得税の累進性を緩和すれば、高所得者層の消費を通じて、低所得者に再配分が実現する、③ フェルドスタインの計測: 社会保証(年金)を大きくすると(老後に備えた)民間貯蓄が減少するのでその分だけ民間投資も減少する。

ケインズ派のおもな主張

  • 現時点の経済活動は、現時点の経済状況を予測できないままになされた過去の経済活動を通じて蓄積された生産要素を、予測不可能な未来に向けて配分しようとする行為だから、需要供給のアンバランスや失業は一般的な現象であり、政府による財政/金融政策により修正する必要がある。

  • ハーヴェイ・ロードの前提: 政府は私的経済主体よりも市場にたいする情報を多くもって、より的確な判断ができる(この前提は、政府の判断力が市場の調整機能を凌ぐことができないならば、逆にケインズ派の弱点ともなる)

主流学派の盛衰

  • 1930~1960: 二度の大戦を通じて経済的枠組みが大幅に変わり、経済学の中心がイギリスから米国に移った。政策提言でケインズ派が優勢に。

  • 1960~1980: 経済を崩壊させずにベトナム戦争(1955~1975)を遂行することに米国経済学が注力。経済学が倫理からさらに遠ざかった。一方で政府の肥大化、財政悪化が進んだがケインズ派は適切な分析、提言ができなかった。

  • 1980~: 財政と経済の立て直しを両立するための理論としてシカゴ学派が優勢に。社会保障(年金、医療)を縮小する一方で、高所得者層の減税、独占禁止法の緩和、環境規制等の緩和が米国で進んだ。社会課題の放置と、マネーサプライ増加によるインフレ、高金利が懸念される。

社会的共通資本の帰属価格

  • 社会的共通資本とは: 市民の生活、生存に重要な関わりをもつか、あるいは地域社会の安定的、持続的存在に必要不可欠な役割を果たすものやサービスを生み出す希少資源。原則として私有を認めず、その管理についてはなんらかの意味における社会的基準にもとづいて行われる。

  • 主流派経済学は私有を前提としているので社会的共通資本の毀損や不適切な利用(つまり公害や環境問題)による損失が計算できない。あえて計算するならば、市民の労働生産性低下を貨幣換算することになる。というのも人間を労働力という生産手段とみなすことで、はじめて売買(=貨幣換算)可能となるからだ。しかし社会的共通資本の不適切利用で侵害されるのは市民の権利であって、労働生産性ではない。

  • そこで社会的共通資本の理論では、市民の権利保全のために本来採るべきであった措置に関わる費用を集計し、その割引現在価値を「社会的共通資本の帰属価格」と考える。つまり社会的共通資本の毀損金額を、市民の権利を守るために投資すべきであったのに実際にはしなかった投資、として推計する。その割引現在価値は、市民の権利を犠牲にして他の目的に流用された資本が、今現在、生み出しているであろう利益に相当する。これは(すべきであったのにしなかった投資金額推計値)×名目利子率[=(1+一般的な資本収益率)×(1+インフレ率)-1]として計算できる。これが損益計算上の社会損失(帰属価格)と等しいと考える。

  • 自動車所有を例にとった帰属価格の試算(1974年当時): 東京都の自動車通行道路2万キロを全て歩車分離するための用地費と建設費の合計は24兆円。自動車台数を200万台とすると1台の自動車が毀損した社会共通資本は1200万円/台。資本収益率10%、インフレ率6%とすると、名目利子率=1.1×1.06-1=16.6%。東京の自動車1台あたりの社会的被害は1200万円×16.6%≒199万円/台/年となる。これらの社会損失は自動車の所有者や製造者によって負担されているわけではない(自動車諸税は現存する道路建設費を賄うだけなので)。

  • このように私有はもともと公共と複雑な関係を有しているのであり、主流派経済学のもとではその複雑さが覆い隠されている。その根底には「経済学教義(=私有)を市民の権利に先立つものとして位置づける」という錯誤がある。

社会的共通資本とコモンズ

  • 私有が生みだす困難さについて主流経済学は解決策を提供できない(私有が前提なので。逆に社会主義は私有の否定なので)。私有の効果的な社会規制を研究する必要がある。

  • もともと、私有が難しい自然環境に対しては昔から世界中でコミュニティによる社会規制が行われていた。社会的共通資本を管理するコミュニティの組織や制度はコモンズと総称されている。コモンズ研究によって持続可能なコモンズの特徴が明らかになっている。① 中央集権的であってはならない、② 対象となる社会的共通資本に直接深い関係をもつ人々が中心となった協同体的組織でなければならない、③ メンバー全体の利益と各メンバーの私的利益の対立や矛盾に対して洗練された調停方法を含んでいなければならない。

  • コモンズは歴史的なプロセスを経てつくり出されたものであって、決して、資本主義とか社会主義という、論理的な体制概念にもとづいて形成されたものではない。だからこそ、資本主義 vs. 社会主義 という膠着した議論に対して、コモンズが第三の道を拓く可能性がある。

  • ソースティン・ヴェブレン(1857-1929)の制度主義: コミュニティによる私有の社会規制は、資本主義や社会主義のように(私有 vs. 国有といった)根本的前提をもとに演繹された整合的概念では扱いきれない。しかし現実には、ほとんどの私有は社会規制を伴ってきた。社会規制を伴わない私有概念は実在しないともいえるのであり、そこには歴史的/伝統的にそのように進化した合理的根拠があるはずだ。経済学はそのようなコミュニティ経済の分析を通じて、私有と社会規制の関係に経済学的法則を見出すべきだ。

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