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マインドフルネスと生悟り

またマインドフルネス、瞑想法

AIとchatしながら生悟りについて学んだ。
要するに真の悟り、解脱では無い悟った感覚だけある状態。
偽の悟りでもいいと思ってしまうが解脱には52段階あるって言うし。
更にホントに解脱するためには
達磨大師並みに「面壁九年」しないと真の解脱は得られ無いのだろうし、それまで疑団と闘い向き合い続ける自信はないのである。
その間、六波羅蜜を守りながら殺生や不邪淫を守らなくてはならない。
特に悪口(あっこう)が今はだめだ。
言ってしまうだろう。

私は、解脱はできない。なぜならここまでしたのだから解脱できて当然だと思ってしまうからだ。
つまり「我見」である。
「ここまで修行した」
「ここまで苦しんだ」
「ならばもう自由になってもいいではないか」
そう邪毒な思考が浮かんでしまい解脱は妨げられるのだろう。
もう一つ、独占欲も強い。
数十年前、坂口安吾の様に挫折したとき、私は真実と希望に満ち溢れた。何でも出来るような気になったとき、坂口安吾の堕落論を
独り占めしたい衝動に駆られたのである。
「こんな素晴らしい感覚を他人に渡したくない」と言う独占欲である。
ただその時はその希望と真実を実行に移す前に、病に伏せてしまった。
今でもその病は牙を剥いている。

我見も同じように妨げる。

私には大乗仏教(他人の解脱を手助けする)事は向いていないのである。
もう一つは病故、治したくて仕方がない。これは神頼み(になりそうなことは何度もあった)でも
カルト教団頼みでもない。
やはりそれは無いのだろうし所詮「ルルドの泉」も信仰心を煽るための偽物だろう。
(事実なら車椅子インフルエンサーも治るだろうし)

神仏にこの病を治してほしいわけではない。
病故、心の平安を解脱や信仰によって得たいと思うのである。




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