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気遣いに気疲れ

私が最も疎外感を感じる瞬間は、
気を遣われている時だ。
近しい人から向けられる気遣いほど、
心に刺さるものはない。

言葉の暴力よりも、自分の心には銃弾が通る。

しかし、それは相手が悪いわけではない。
その気を遣わせるような環境、状況をつくった自分が憎いのだ。心から。
自分の過去を叱りたくなる。
なぜ、気を遣われるのか。
なぜ、言葉には言われずに、変に気を遣われるのか。
自分のこれまでの行動に誤りがあったからに違いない。
相手の気遣いに気づけよ。

相手が私の顔色を伺い、行動をする。
自分を恐れられているのだろうか。
なるべく関わらないようにと、
距離を置かれているのだろうか。
めんどくさい奴だからとりあえず、
当たり障りのないことを並べようとか。
怒ったらめんどくさいから、
慎重に言葉を話さないととか。

それがあからさまな気を生んでいるのか。



気を遣われるたびに、
私は自分がちっぽけで愚かな孤独感を味わう。
他の誰も自分を愛していないかのように。
結局は何も残らないのだろうか。

なぜ、親しい者も私に気を遣うのだろうか。
それはもしかして、気ではないのかも知れない。
一種の私との距離の取り方なのだろうか。

悲しい。

自分とは何なのか。

自分は偉くも何ともない。
なのになぜ。


 

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