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教員を辞めた

「実感がない」
それが正直な感想である。

実感というのはいつ湧くのか

昨日、簡単に職場のデスクの整理をした。

出てくる出てくる、プリントの数。
「あー、こんな授業プリント作ったなー」
「この時は妙に気合入ってたなー」

振り返ってみると、2018年から教員人生がスタートし、2年間講師を務め、正規採用されてから4年半で教員人生が終わる。

あっという間だった。

しかし、得たものはとてつもなく大きい。

これだけは胸を張って言える。

自衛隊を辞めると決めた時、勉強を本気でやったことのない私はセンター試験の英語が30点くらいだった(200点満点)

それからは毎日毎日、狂ったように勉強して、2年かかってようやく大学生になれた。
その間、「教員になったらこんなことをしよう」「こんな教員になる」
といったことをノートに書き連ねていた。

4年間の大学生活を終えても揺るがなかった教員になりたいという夢は意外とあっさりと叶った。

教育実習の時に、朝誰よりも早く学校に行って、トイレ掃除や教室の掃除をしていた。
この自己満とも言える行為がある一人の生徒の背中を押した。
その子は実習最終日に手紙をくれ、僕の掃除をしている姿に憧れを抱き、そんな教員になりたいと言ってくれた。

その経験から、1年目2年目と、トイレ掃除を毎日ではないが継続的に行った。
なんとなく、朝の掃除は自分の生活リズムを整えてくれている気がしていたし、さまざまな気づきがあったのも事実だ。

しかし、正規採用になってからはすっかりやらなくなった。

憧れの担任を持つと、後ろの背面黒板に「好きな音楽」を書かせたり、「国名しりとり」をしたり、「IPPONグランプリ」を開催したりして、いかにしてクラスの仲が深まるかとか、主体的に物事に取り組めるかといった事に熱を注いでいた。

教員の仕事はたくさんある。
クラス経営、授業、部活指導、生徒指導、進路指導、保護者対応、書類作成…。
どれも生徒のためだと思って一生懸命やった。

「教員の仕事は全部自己満足」
そんなことを言っている先輩がいた。
クラスに40人生徒がいたら、自分の言っていることが1人でも響いてくれればいい。
確かに、そう思うことはある。

しかし、だんだんと、これでいいのかと思えるようになってきた。

自分のやりたくもないことに時間を割き、必要のない事で怒られ、気づけばプライベートも家族の時間もない。

「自己満足」をいかに続けたところで、救えないものがある。
それは「自分」じゃないのか?

本当の自分に嘘をついていないか?
逆に、気づけば自分の考えを押し付けていないか?

なぜ、子どもたちはこんなにつまらなそうにしているんだ?
辛いことに耐えることが当たり前なのか?


もともと僕は高校時代の挫折がきっかけで教員を志した。

「つまらないと感じていた授業を面白くしたい」
「たとえ勉強ができなくてももっと大切なことを伝えたい」
「一人の夢を全力で応援したい」

そう心に強く誓ってなったはずだ。


生徒も先生も保護者も「自分」に無理をしている。


教育を見直そう。


そう思えたのは教員を心から全力でやったからだ。


今の決断に後悔はない。

別れは寂しい。
しかし「出会いの数だけ別れは増える」(と桜井さんも歌っている)

そして、別れではなく出発だ。


どこかで僕らは繋がっている。

出会えた人全てに感謝。


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