中世のシルクロードと世界システム

イントロダクション

こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係論について考える人です!

今回は、前々回の投稿で示した課題エッセイの前半についてです。内容としては、中世のシルクロードはユーラシア大陸中に経済的繋がりが出来ているが、その性質は近代以降のものと異なるというものです。
早速見ていきましょう。


後期中世のシルクロードにおける経済的結びつきの性質

後期中世における東洋と西洋の経済的結びつきの性質は、アブ・ルゴッドによる世界システム理論で説明することが可能です。

ルゴッドの著書である『ヨーロッパ覇権以前』では、東西間の高いつながりは航海術と船舶技術の発展によるものだと主張しています。中世の世界システムにおける重要な概念は、都市の群島です。都市の群島とは、異なる地域の都市が特に発展し、経済的につながっていた状態を指しています。

逆に言えば地域間の相互接続は農村や山村ではなく、都市において発生しましたが、都市同士での交換で発生した利益はその後背地である山村や農村にも波及しました。

後期中世のもう一つの特徴は、現代の世界システム理論との比較によってわかりやすくなります。世界システム論とは国際情勢を説明枠組みで、それぞれの国家ではなく、国家同士の分業体制に注目したものです。

世界システム論の創始者であるウォーラーステインは現代の世界システムを、第三次産業が発達した中心部と第一次産業が主な周辺部に分けます。そして、中心部が周辺部を支配や搾取する階層的な関係があると主張しました。

これに対してルゴッドの中世の世界システム論では、各地域の関係は対等だとされます。これは各地の主要な生産様式が農業であったためです。

またルゴッドは、中世から近代世界システムの移行の原因の1つに黒死病を挙げています。この移行については、次回のnoteで詳しく述べる予定です。

ルゴッドの理論の修正

アブ・ルゴッドの理論は説得力がありますが、完全ではありません。その1つの理由として、地理的に周辺的な地域とユーラシア大陸とのつながりを否定する可能性があります。

例えば、ダッドブリッジという歴史学者は、彼女の理論が誤解を招くと主張しています。ルゴッドの理論はインド洋などの大洋の重要性を強調しているものの、モンゴル帝国による日本侵攻の失敗により、後期中世の日本とアジア大陸(中華帝国や朝鮮半島など)との結びつきを否定しているからです。

しかし、実際には日本は後期中世に朝鮮半島や中国帝国と交流を持っていました。13世紀と14世紀は、日本で活発で自由化された貿易が特徴であり、中国の印刷された文学、哲学、宗教書が京都や鎌倉にもたらされていました。

地理的に周辺的な地域の経済現象を扱うためには、アブ・ルゴッドの理論は、ダッドブリッジが主張する生物のメタファーを採用すべきです。生物学者は任意のレベルから分析を開始することができます。例えば、細胞の分析を積み重ねてから全身の分析に至ることが可能ですし、その逆もまた可能です。同様に、世界システム理論家は、任意のレベルでプログラムを開始し、より小さな、または大きな範囲の分析に至ることができます。例えば、ある国家の農業の産業構造から始めて、使っている肥料の分析を行ったりその国家の税収や外交の分析を行うことができます。この範囲の移行は、ルゴッド自身が採用した回路の連鎖のメタファーでは困難です。なぜなら、それは現象の説明にのみ取り組むからです。

中世シルクロードにおいても人間の移動は盛んだった

後期中世のシルクロードに各地域における結びつきの性質は、人々の遊動性によって説明することもできます。

後期中世の遊動性には2つの特徴があります。
1.資源の収集と貿易
2.政治的な移動と動員

1つ目の最初の特徴はルーシ人(ロシア人の祖先)によって示されています。ルーシ人の統治の中心地は1世紀にわたって2000km移動しました。この原因は安全な貿易ルートと安定した市場アクセスを確保するという動機にあります。

これは、アジアの遊牧民にも同じことが当てはまります。主にアジアにおいて軍事的侵略と市場アクセスの確保を行ったモンゴル人は、季節のサイクルに合わせて一族を移動させました。

2番目の特徴については、遠方に住む人々の政治的な統合によって説明されます。これは首長による遠方地域への定期的な訪問と、首長への服従を要求する貢物によって可能になりました。例えば、宋時代に首都から官僚に任命された人々は、彼らの任地に到達するために、遠く北西へ2000キロメートル、または遠く南へ1500キロメートルを旅しました。これがなぜ必要だったかと言うと、物理的距離が大きければ心理的距離もまた離れがちになってしまうため、定期的に訪問することで任命地と官僚である自身の力関係を再確認するために行われていたのです。

まとめ

後期中世のシルクロードにおける東西の経済的結びつきは、アブ・ルゴッドの世界システム理論によって説明することができます。

この理論では、航海術と船舶技術の発展が東西間の強いつながりを生み出し、都市間の相互接続が主要な交流の場となったされています。

しかし、ダッドブリッジはこの理論が地理的に周辺的な地域、特に後期中世の日本とアジア大陸とのつながりを過小評価していると批判しています。ルゴッドの理論は生物のメタファーを用いることで、より柔軟な分析を行うことができます。また、後期中世のシルクロードにおける人々の遊動性は、資源の収集と貿易、政治的な統合のための動員という二つの特徴を持っていました。このような移動性は、地域間の経済的および政治的な結びつきを強化するというものでした。

次回は、後期中世のヨーロッパを襲った黒死病について概観し近代の発展に繋がった要素を見ていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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